朝日日本歴史人物事典 「水野仙子」の解説
水野仙子
生年:明治21.12.3(1888)
明治末から大正初めの小説家。当時女性作家としては,田村俊子と並んでもっとも活躍した。福島県岩瀬郡須賀町の商家服部直太郎の3女。本名服部てい。長兄は歌人の服部躬治。須賀川裁縫女学校在学中から投稿を続け,田山花袋に認められて上京。長姉の死産の様をリアルに描いた「徒労」(1909)で文壇に出る。同門の川浪道三との恋愛,結婚のなかから,男女間の相剋,微妙な心のゆき違い,揺れを「淋しい二人」「神楽坂の半襟」などに描くが,夫の結核に感染し,3年間の闘病生活に死を見詰めた作品を発表する。死後,夫を中心に田山花袋,有島武郎らにより,岸田劉生の装丁で『水野仙子集』(1920)が出され,全76篇の作品中22篇が収められた。
(尾形明子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報