朝日日本歴史人物事典 「服部仲英」の解説
服部仲英
生年:正徳3(1713)
江戸時代中期の漢詩人。摂津(兵庫県)西宮の人。名は元雄,仲英は字。通称は多門。白賁と号す。本姓中西氏。西宮神社の祝人(下級神宮)中西平次右衛門の次男。正徳4(1714)年,父親が神社の内紛に巻き込まれ追放を受け,一家は摂津池田に移り住んだ。このころ田中桐江に入門し,のちに江戸に出て服部南郭に師事した。南郭の2人の息子が相次いで亡くなったため,宝暦3(1753)年,末娘の登免子と結婚して服部家を継いだ。詩をよくし,家名を落とすことがなかったという。<著作>『蹈海集』<参考文献>日野竜夫「文人の成立」(『徂徠学派』)
(高橋昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報