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江戸中期の漢詩人。名は元喬(もとたか)。字(あざな)は子遷。南郭はその号。京都の商家に生まれ、少年時代に江戸へ下った。初め和歌を学び、18歳のころ柳沢吉保(よしやす)に歌人として召し抱えられたが、すでに吉保に仕えていた儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)を知り、入門するに及んで漢学に転向した。1718年(享保3)柳沢家を去って終生自由な境涯で詩作にふけり、享保(きょうほう)~宝暦(ほうれき)期(1716~64)漢詩壇の指導的立場にあった。徂徠と異なり政治的関心を抱かず、文学、芸術を通じて自我や個性を伸ばす生き方を追求し、祇園南海(ぎおんなんかい)、柳沢淇園(きえん)らとともに文人意識の確立者とされる。『唐詩選』を初めて校訂出版したことでも名高い。詩文は『南郭先生文集』に収められる。
[日野龍夫]
『頼惟勤校注『日本思想大系37 徂徠学派』(1972・岩波書店)』
1683.9.24~1759.6.21
江戸中期の文人学者。通称小右衛門,名は元喬,字は子遷,南郭は号。京都の町人出身。はじめ歌人として柳沢吉保に仕え,のち致仕して講義などで生計を立てた。1710年(宝永7)頃荻生徂徠に入門。とくに古文辞(こぶんじ)による詩文創作の主張を継承。大名など交際範囲が広く,詩名も高かった。遺託をうけて「徂徠集」「論語徴」など師の遺著の刊行にあたった。経世面では老荘風の無為の説に立つ。文雅風流に生きる理念は,江戸後期に輩出する文人の先駆をなした。世襲身分制の近世社会で,文学にかけて悔いない自我意識を立てた意義は大きい。「疎朗にして豪志あり」との徂徠評がある。著書「唐詩選国字解」「南郭文集」。
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…1709年(宝永6)吉保の隠居に伴い茅場町に町宅,家塾蘐園(けんえん)を開く。この前後に山県周南,安藤東野,服部南郭,太宰春台らが入門。ほかに僧侶や大名も門人に加わる。…
※「服部南郭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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