日本歴史地名大系 「朝倉下村」の解説
朝倉下村
あさくらしもむら
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の越智郡の項に「朝倉下村」とみえ、村高は一千五石八斗八升三合である。松山藩領であったが、明和二年(一七六五)に上地されて幕府領となり、文化一二年(一八一五)以降松山藩預として明治に至る。高大寺川からの引水には古くから苦心したらしく、輝月妙鏡尼が開削したという
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の越智郡の項に「朝倉下村」とみえ、村高は一千五石八斗八升三合である。松山藩領であったが、明和二年(一七六五)に上地されて幕府領となり、文化一二年(一八一五)以降松山藩預として明治に至る。高大寺川からの引水には古くから苦心したらしく、輝月妙鏡尼が開削したという
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