朝妻城跡(読み)あさづまじようあと

日本歴史地名大系 「朝妻城跡」の解説

朝妻城跡
あさづまじようあと

[現在地名]米原町朝妻筑摩

天野あまの川河口、江戸時代に朝妻村の枝郷であった中島なかじま村の地にあった中世の城。中島村はもと尚江なおえ村ともよんだ三角洲上の村をいい、正中二年(一三二五)の大地震で大半が湖水に没したと伝える。応仁年間(一四六七―六九)京極方の支城としてなんらかの防塞が施されたようだが、「島記録」には「佐々木殿の侍須田の何かし、新庄蔵人方所縁により、新庄か館朝妻の城へ見まひ云々」とあり、同地の中島神社の記録は天文八年(一五三九)新庄直実の子直昌が城を構えたとする。なお、元亀三年(一五七二)三月一七日の浅井長政宛行状(島記録)には「北走井之事 浅妻也」とみえ、宝徳三年(一四五一)六月一八日の北走井猷恵田地売券(井戸村文書)には筑摩十六条つくまじゆうろくじよう内の地が井戸村備後守に売却されたとあり、当地北走井はつそいとも称したらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...

国際ブッカー賞の用語解説を読む