日本歴史地名大系 「朝宮村」の解説 朝宮村あさみやむら 福井県:丹生郡清水町朝宮村[現在地名]清水町朝宮・グリーンハイツ片粕(かたかす)村の南にあり、東は日野川を隔てて下江守(しもえもり)村(現福井市)。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では三戸部(みとべ)郷に含まれる。村名は正保郷帳にみえ、田方六八石・畠方二二二石余。正保二年(一六四五)福井藩領から吉江藩領となり、延宝二年(一六七四)再び福井藩領、貞享三年(一六八六)には幕府領となった。天保一二年(一八四一)頃のものと思われる願上書(岩堀家文書)に「朝宮・片粕等之口村之儀者、当城下江壱里計之道法ニ而近辺ニ付、朝夕菜・大根等持出売歩行来候故、御用等ニ而罷出候節も序ニ方出来仕候」とあって、当村は福井城下に野菜類を売っていた。 朝宮村あさみやむら 愛知県:一宮市朝宮村[現在地名]一宮市萩原(はぎわら)町朝宮(あさみや)萩原村の東にある。西は日光(につこう)川に接する。妙興寺文書の嘉暦二年(一三二七)の沙弥帰覚譲状に「一所壱町玖段小 朝宮保内 藤三郎入道名」とあり、鎌倉期から開発された村とみられる。「寛文覚書」の概高は二五〇石余で、家数五三・人数二九七。元禄一二年(一六九九)の書上には、家数六三・人数二三五、新田二ヵ所と記し、さらに村内に東西六三間・南北八〇間の古屋鋪跡と伝える地は、文明末年頃に加藤十左衛門という知行一千石取の侍と八〇〇石取の弟が住んだと伝え、弟の子孫は備前池田家に仕えて四五〇石取と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報