木与村(読み)きよむら

日本歴史地名大系 「木与村」の解説

木与村
きよむら

[現在地名]阿武町大字木与

宇田うた村の南にあり、西は日本海に面する。海岸部以外は山地で、集落は村内の木与谷に発して日本海に注ぐ木与川流域に点在する。沖にある島も当村内であった。萩藩領で奥阿武宰判に属した。

村名について「注進案」は「古伝は無御座候へども往古より称来候由、応永廿六年に八幡宮の棟札にも木与村と記御座候」とし、北林山八幡宮の項で「奉建立木与村八幡宮応永二十六年己亥八月吉日」と記す棟札の写を載せる。

慶長一五年(一六一〇)検地帳には「木与」とあり、南隣の奈古なご村と合石で総石高一千四四六石余、うち田は九四町余で高一千五五石余、畠二六町余で高九六石余、百姓屋敷数一二五、市屋敷数三一、浦屋敷数七二、小物成五石余、浦浮役一八八石余、塩浜役三石余と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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