木原城跡(読み)きはらじようあと

日本歴史地名大系 「木原城跡」の解説

木原城跡
きはらじようあと

[現在地名]富合町木原

雁回がんかい山の北麓、標高一三五メートル、集落からの比高一二五メートル、字城山じようやまにある。源為朝在城の伝承などあるが、築城年代など確かな文献はない。戦国期の文亀四年(一五〇四)名和顕忠が八代古麓ふるふもと城から移り住んだ(天文五年一一月二二日「沙弥洞然(相良長国)長状写」相良家文書)。城跡には現在長寿ちようじゆ寺の奥院が所在する。


木原城跡
きはらじようあと

[現在地名]美浦村木原

台地西側にある。築城の時期は不明だが、城主近藤氏の菩提所永巌えいがん寺の創設が応永元年(一三九四)であることからみて南北朝―室町初期と思われる。近藤氏は応仁元年―永正七年(一四六七―一五一〇)に関東管領をつとめた上杉顕定が土岐原源次郎に宛てた年未詳の感状(臼田文書)に「臼田弥次郎并近藤八郎三郎被官原内匠助、其外一両輩、相談小田令内通、当要害可乗取行現形之間、彼逆心之族遂成敗候故、于今堅固之由申越候」と記される。近藤八郎三郎は永正一二年―大永五年(一五一五―二五)に関東管領をつとめた上杉憲房が臼田河内守に宛てた年未詳の感状(同文書)にもその名があり、小田おだ(現筑波郡筑波町)城主小田政治と戦っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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