木村静幽(読み)キムラ セイユウ

20世紀日本人名事典 「木村静幽」の解説

木村 静幽
キムラ セイユウ

明治・大正期の実業家 大阪土木社長。



生年
天保12年8月(1841年)

没年
昭和4(1929)年12月12日

出生地
陸奥国弘前(青森県)

主な受賞名〔年〕
紺綬褒章〔昭和2年〕

経歴
陸奥弘前藩主津軽承昭の近習小姓を務め、藩主から静幽の名を授けられた。明治4年上京。6年大倉組商会(のち大倉組)設立に際して、出資者である津軽家の代表として理事就任。20年日本土木会社理事を経て、23年同社解散にあたり大阪支店を独立させ大坂土木社長となり、青森‐大館間の鉄道敷設などを手がけた。広島電力取締役、大阪アルカリ社長、大阪モスリン監査役などを歴任。昭和7年遺志により郷里の弘前に木村産業研究所が設立され、地場産業振興に大きな足跡を残した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村静幽」の解説

木村静幽 きむら-せいゆう

1841-1929 明治-大正時代の実業家。
天保(てんぽう)12年8月生まれ。もと陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)藩主津軽承昭(つぐあきら)の近習小姓。明治6年津軽家出資の大倉組理事となり,のち大阪土木社長,広島電気取締役などをつとめる。青森県の奨学制度と地場産業の育成につくした。昭和4年12月12日死去。89歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例