津軽 承昭
ツガル ツグアキラ
- 肩書
- 弘前藩知事
- 旧名・旧姓
- 別名=長岡護明 旧名=承烈
- 別名
- 幼名=寛五郎 号=桃林亭 桃園 仙桃 琴調
- 生年月日
- 天保11年8月12日(1840年)
- 出生地
- 江戸
- 出身地
- 青森県弘前市
- 経歴
- 熊本藩主細川斉護の四男に生まれ、安政4年陸奥国弘前藩主津軽順承の婿養子となり、6年襲封し第12代弘前藩主となった。西蝦夷地の警備と経営などの他、軍制改革を行い、新たに武器の製造にも乗り出した。元治2年京都御所南門の警備を命ぜられる。明治維新に際し、勤王方として箱館戦争に参加して功を立て、奥州触頭に任命され、一時東北15藩を配下とした。明治2年版籍奉還し、弘前藩知事となる。4年廃藩置県の実施により東京に移った。10年宮中祇候を拝命、のち麝香間祇候に転じる。17年伯爵。第十五国立銀行取締役を務めた。和歌をたしなみ、宮中の御題に対する詠進歌は多数にのぼる。
- 没年月日
- 大正5年7月19日
- 家族
- 実父=細川 斉護(熊本藩主) 養父=津軽 順承(弘前藩主) 養子=津軽 英麿(津軽家13代当主)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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津軽承昭
没年:大正5.7.19(1916)
生年:天保11.8.12(1840.9.7)
幕末の大名。弘前藩(青森県)第12代藩主,熊本藩主細川斉護の4男で,母は幕臣青野氏。江戸生まれ。安政4(1857)年弘前藩主津軽順承の養子となり,6年襲封。万延1(1860)年侍従。幕末の弘前藩にあって,西蝦夷地の経営と警備に当たり,また京都の守衛にも出兵。軍制改革にも着手し,新たに武器の製造にも乗り出した。明治維新の変革期には朝廷側について難局を乗り切り,東北戊辰戦争では秋田へ出兵し,箱館戦争においては兵站基地として維新政府に貢献した。明治3(1870)年承昭は帰田法を実施して領内の豪農,地主らが所有する土地を強制的に買い上げ,藩士達に分与して救済し帰農を図った。時勢をみるに敏な人物であった。版籍奉還(1869)により弘前藩知事,のち伯爵。東京で死去。<参考文献>『津軽承昭公伝』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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津軽承昭 つがる-つぐあきら
1840-1916 幕末-大正時代の大名,華族。
天保(てんぽう)11年8月12日生まれ。肥後熊本藩主細川斉護(なりもり)の4男。津軽順承(ゆきつぐ)の婿養子となり,安政6年陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)藩主津軽家12代。戊辰(ぼしん)東北戦争や箱館戦争で新政府に貢献した。伯爵。大正5年7月19日死去。77歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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