津軽承昭(読み)つがる・つぐあきら

朝日日本歴史人物事典 「津軽承昭」の解説

津軽承昭

没年:大正5.7.19(1916)
生年天保11.8.12(1840.9.7)
幕末大名弘前藩(青森県)第12代藩主,熊本藩主細川斉護の4男で,母は幕臣青野氏。江戸生まれ。安政4(1857)年弘前藩主津軽順承養子となり,6年襲封。万延1(1860)年侍従。幕末の弘前藩にあって,西蝦夷地の経営と警備に当たり,また京都の守衛にも出兵。軍制改革にも着手し,新たに武器の製造にも乗り出した。明治維新の変革期には朝廷側について難局を乗り切り,東北戊辰戦争では秋田へ出兵し,箱館戦争においては兵站基地として維新政府に貢献した。明治3(1870)年承昭は帰田法を実施して領内の豪農,地主らが所有する土地を強制的に買い上げ,藩士達に分与して救済し帰農を図った。時勢をみるに敏な人物であった。版籍奉還(1869)により弘前藩知事,のち伯爵。東京で死去。<参考文献>『津軽承昭公伝』

(長谷川成一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津軽承昭」の解説

津軽承昭 つがる-つぐあきら

1840-1916 幕末-大正時代の大名,華族
天保(てんぽう)11年8月12日生まれ。肥後熊本藩主細川斉護(なりもり)の4男。津軽順承(ゆきつぐ)の婿養子となり,安政6年陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)藩主津軽家12代。戊辰(ぼしん)東北戦争や箱館戦争で新政府に貢献した。伯爵。大正5年7月19日死去。77歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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