20世紀日本人名事典 「木津宗詮」の解説 木津 宗詮(3代目)キヅ ソウセン 明治・大正期の茶匠 茶道武者小路千家宗匠;木津卜深庵3代目。 生年文久2年(1862年) 没年昭和14(1939)年7月29日 出生地大阪 別名号=宗一,聿斎,賜名=宗泉 経歴武者小路千家流茶道の宗匠で、宗一、聿斎と号し、明治31年8世一指斎を失った後の宗家を護る。茶室設計の才に優れ、東京青山御所内に秋泉席を指導したことで、一代限りの宗泉の名を許された。茶室の設計では看松居、菜種庵、興福寺興善院などを手がける。著作も多く「調味料理栞」「利休百首管見」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「木津宗詮」の解説 木津宗詮 没年:安政5(1858) 生年:宝暦10(1760) 江戸後期の茶匠。卜深庵,松斎,寒松軒と号した。大坂木津の願泉寺に生まれる。はじめ降竜と名乗って36代住職を継ぐが,弟の昇竜に寺を譲って江戸に出る。大名茶人として知られた出雲松江藩主松平不昧の知遇を得て,大崎の別邸で茶道を学ぶ。その命によって武者小路千家5代宗守一啜斎の門下となり,還俗して木津宗詮と称した。天保2(1831)年紀州徳川家に茶道役として出仕。2代宗詮も播磨高砂の善立寺から養子となり,得浅斎と号して紀州家に仕えた。 (谷端昭夫) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木津宗詮」の解説 木津宗詮(初代) きづ-そうせん 1760-1858 江戸時代後期の茶人。宝暦10年生まれ。はじめ摂津木津村(大阪府)願泉寺の住職で,天王寺の楽人もかねる。寺を弟にゆずり,江戸で松平治郷(はるさと)の知遇を得,茶の湯を武者小路千家5代千宗守にまなぶ。天保(てんぽう)2年紀伊(きい)徳川家の茶頭となった。安政5年1月1日死去。99歳。本姓は小野。号は松斎,卜深庵。法名は降竜。 木津宗詮(5代) きづ-そうせん 1916-1998 昭和後期-平成時代の茶道家。大正5年1月3日生まれ。武者小路(むしゃのこうじ)千家流木津家5代。武者小路千家名誉教授として,大阪茶道会や兵庫県茶道協会の理事をつとめる。平成10年7月29日死去。82歳。大阪出身。千葉高等園芸(現千葉大)卒。本名は辰猪(たつい)。号は柳斎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by