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松平治郷 マツダイラハルサト

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デジタル大辞泉の解説

まつだいら‐はるさと〔まつだひら‐〕【松平治郷】

[1751~1818]江戸後期の大名。出雲(いずも)松江藩主。号、不昧(ふまい)。藩政の改革に尽力。また、茶人として石州流不昧派を興した。著「贅言(むだごと)」など。

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百科事典マイペディアの解説

松平治郷【まつだいらはるさと】

江戸中期の大名。出雲(いずも)松江藩主。号は不昧(ふまい)。17歳で襲封,1806年に致仕。治郷は〈名君〉の誉れ高いが,その治績についての記録は少なく,実質的に治郷が藩主として政治を行ったのは,晩年10年間であった。
→関連項目朽木昌綱

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平治郷 まつだいら-はるさと

1751-1818 江戸時代中期-後期の大名,茶人。
寛延4年2月14日生まれ。松平宗衍(むねのぶ)の次男。明和4年出雲(いずも)松江藩主松平(越前(えちぜん))家7代となる。家老朝日丹波を中心に藩財政の立て直しをすすめた(御立派(おたては)の改革)。藩校を明教館と改称。茶を3代伊佐幸琢(こうたく)にまなび,石州流不昧(ふまい)派の祖となる。名器収集でも世に知られた。文政元年4月24日死去。68歳。初名は治好(はるたか)。号は不昧,宗納など。出羽守。著作に「贅言(むだごと)」「古今名物類聚(るいじゅう)」など。
【格言など】客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ(「茶礎」)

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世界大百科事典 第2版の解説

まつだいらはるさと【松平治郷】

1751‐1818(宝暦1‐文政1)
江戸中期の大名。出雲国松江藩の第7代藩主。号は不昧(ふまい)。17歳で襲封,1806年(文化3)に致仕。治郷の襲封は家老朝日丹波による御立派(おたては)の改革政治の第一着手として行われ,父宗衍(むねのぶ)は38歳で隠居させられた。徹底した綱紀粛正行政改革,勧農抑商と貢租増徴で藩財政の赤字を解消した改革政治であった。治郷は〈名君〉の誉れが高いにもかかわらず,その治績についての記録は残っていない。治郷が藩主として政治を行ったのは,朝日丹波の没後に行った御直捌(おじきさばき)で,晩年の10年間に当たる。

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大辞林 第三版の解説

まつだいらはるさと【松平治郷】

1751~1818) 江戸後期の出雲松江藩主。号、不昧ふまい・一々斎。治水事業・出雲焼などの産業を奨励し、積極的な藩政改革を行なった。茶人で石州流不昧派の祖。著「類聚名物」ほか。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松平治郷
まつだいらはるさと

松平不昧」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松平治郷
まつだいらはるさと
(1751―1818)

出雲(いずも)国(島根県)松江藩第7代藩主。茶人、茶道不昧(ふまい)流の祖、茶道具の収集家。幼名鶴太郎、のち治好(はるたか)、ついで治郷と称す。初め佐渡守(さどのかみ)、のち出羽(でわ)守。号は斗門、蘭室、笠沢(りゅうたく)、一閑子(いっかんし)、一々斎、宗納、不昧など。1767年(明和4)藩仕置役家老朝日丹波茂保(あさひたんばしげやす)(のち郷保(さとやす))を中心に「御立派(おたては)」といわれる改革の進行中に、父宗衍(むねのぶ)にかわって17歳で藩主となった。改革は勧農抑商を基調としていちおうは成功したが、1782年(天明2)朝日丹波の隠居後に財政状況はふたたび悪化、1796年(寛政8)からは治郷自身が親政したが好転しないまま1806年(文化3)56歳で隠退した。文政(ぶんせい)元年4月24日没、江戸麻布(あざぶ)西窪の天徳寺に葬る(関東大震災後、松江市月照寺の墓地に移す)。法名は大円庵(あん)前出雲国主羽林次将不昧宗納居士(こじ)。夫人は仙台藩主伊達宗村(だてむねむら)の九女。[松尾 寿]
 茶の湯は石州流の伊佐幸琢(いさこうたく)に学んだが、流派にとらわれず「諸流皆我が流」を標榜(ひょうぼう)した。1770年(明和7)『贅言(むだごと)』を著して道具偏重の当世茶を批判する一方、茶の湯執心の一端を披瀝(ひれき)しているが、その後藩財政の好転に伴い道具収集に乗り出し、江戸後期最大の収集者となった。その品目は『雲州名物帳』(雲州蔵帳)で知られる。不昧はこうした名物道具を分類整理して『古今名物類聚(ここんめいぶつるいじゅう)』18巻を著し、また『瀬戸陶器濫觴(せととうきらんしょう)』3巻では陶器の歴史的研究を行うなど、単なる好事家(こうずか)に終始しなかった。致仕(ちし)後は、江戸品川の別邸大崎園に数々の茶室を営み風流三昧(ざんまい)の生活を送った。不昧の好んだ茶室に松江市の菅田庵(かんでんあん)や明々庵(めいめいあん)がある。小堀遠州を慕い、大徳寺孤篷庵(こほうあん)を再興する一方、同所に自らの菩提所(ぼだいしょ)大円庵を建立した。[村井康彦]
『松平家編輯部編『松平不昧公伝』(1914・松平家) ▽内藤正中・島田成矩共著『松平不昧』(1965・今井書店)』

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世界大百科事典内の松平治郷の言及

【大名茶】より

…遠州,石州の茶は封建社会を支える分限思想や儒教道徳的な徳目をその茶道思想に含み,好みも均衡のとれた洗練度の高い美しさを見せ,また名物道具を中心とする書院台子の茶の伝統をその点前に包含するなど,大名の趣味としての要件を備えているといえよう。ことに石州の流儀は広く武士階層に広がり,江戸時代後期に至って松平治郷(まつだいらはるさと)(不昧),井伊直弼(いいなおすけ)などの有力な大名茶人を輩出させた。【熊倉 功夫】。…

【松江藩】より

…出雲国(島根県)松江に藩庁を置いた藩。初期は外様,中期以降は親藩。1600年(慶長5)堀尾吉晴が出雲・隠岐両国24万石に封ぜられ,能義郡富田城に入る。07年島根郡末次の亀田山に移城を決定,11年に完成移転,以後歴代藩主の居城となった。34年(寛永11)断絶した堀尾氏に代わって京極忠高が入封,出雲・隠岐両国に加えて石見銀山の大森代官所支配地5万石も支配する。次いで京極氏が断絶して,38年結城秀康の三男松平直政が藩主となった。…

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