木津志村
きづしむら
[現在地名]姶良町木津志、蒲生町米丸
南西流する木津志川の谷間にあたり、周囲を山に囲まれる。同川は西端部で後郷川(蒲生川の支流)に合流する。北東は北山村。江戸時代は初め蒲生郷に所属したが、元文三年(一七三八)の重富郷創設の際に山田郷寺師村が帖佐郷に付けられ、その補充として木津志村が山田郷所属となった(「旧記雑録」「三州御治世要覧」など)。
中世は蒲生院のうちにあった。正八幡若宮縁起(蒲生八幡神社蔵)に載る貞治二年(一三六三)八月吉日の正八幡若宮守護番帳によると、正八幡若宮(現蒲生町の蒲生八幡神社)守護のための毎日の当番が定められており、そのなかに「八日権政所 木津志命婦」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 