日本歴史地名大系 「蒲生郷」の解説
蒲生郷
かもうごう
近世の鹿児島藩の外城の一つ。答
文禄四年(一五九五)六月二九日の豊臣秀吉朱印知行方目録(島津家文書)によると、「隅州姶羅郡蒲生之内三ケ村」二千六四二石余が島津義弘(惟新)の蔵入地とされている。
蒲生郷
がもうごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
近世の鹿児島藩の外城の一つ。答
文禄四年(一五九五)六月二九日の豊臣秀吉朱印知行方目録(島津家文書)によると、「隅州姶羅郡蒲生之内三ケ村」二千六四二石余が島津義弘(惟新)の蔵入地とされている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...