日本歴史地名大系 「木滑口留番所跡」の解説 木滑口留番所跡きなめりくちどめばんしよあと 石川県:石川郡吉野谷村木滑新村木滑口留番所跡[現在地名]吉野谷村木滑新木滑新村のうち、手取川とその支流尾添(おぞう)川の合流点右岸近くの深い河谷に面した地に位置した。加賀藩によって設置され、加賀藩領と幕府直轄領の白山麓十八ヶ村の領境にあたる。宝永二年(一七〇五)の吉野村甚七書上(改作所旧記)などによれば、口留番所は寛永一八年(一六四一)吉野(よしの)村に設置されたが、寛文元年(一六六一)木滑村に移転、同九年以降は新たに村立てされた木滑新村に所在。延宝六年(一六七八)まで奉行在任が不定期であったが、翌年より一年交替となる(国事雑抄)。寛文一一年の木滑関所付足軽誓詞(「木滑御定書」加越能文庫)などによれば、御番は昼夜ともに二人ずつ五人が交替で勤めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by