木田庄(読み)きだのしよう

日本歴史地名大系 「木田庄」の解説

木田庄
きだのしよう

足羽郡に成立した奈良興福寺領の荘園。保延二年(一一三六)九月日付明法博士勘文案(壬生文書)に「散位藤原忠恒越前国木田御庄住人請文追可進上」とみえるのが早い例である。この時、当庄をめぐって相論があり、朝廷に繋属されたようだが、詳細は不明である。

次いで、建武四年(一三三七)六月一三日付の斯波高経に宛てた足利直義下知状(前田家所蔵文書)に「興福寺雑掌興賀申、越前国木田庄事、厳密重色異他也、就中当庄庄官以下百姓等致軍忠処、背先例宛催課役云々、為事実者、太不可然、停止非分沙汰、可全寺用之状如件」とみえる。興福寺雑掌興賀の申状によれば、木田庄の荘官以下百姓等が軍忠を致したにもかかわらず、先例に背いて課役が宛催され、足利直義は越前守護斯波高経に命じてこの非分沙汰を停止させようとしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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