木舟城(読み)きふねじょう

日本の城がわかる事典 「木舟城」の解説

きふねじょう【木舟城】

富山県高岡市にあった平城(ひらじろ)。同県指定史跡。本丸・二の丸・三の丸からなる比較的規模の大きな城郭であった。源平の合戦が行われていた平安時代末期の1184年(元暦1)に、一帯の豪族石黒太郎光弘が築城したといわれている。以降、戦国時代まで石黒氏が居城としていた。戦国時代後期、城主の石黒左近蔵人成綱は、越後上杉謙信に属していたが、1578年(天正6)に謙信が急死すると、織田信長に属した。このため、1581年(天正9)、上杉氏の武将吉江宗信に攻められて落城した。城を追われた石黒氏は信長に呼び出され、同年7月に、丹羽長秀の兵により近江で謀殺された。上杉方の城となった木舟城はその後、織田方により再奪回されて佐々成政の支配下におかれた。成政は本能寺の変後、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)や羽柴氏に与した前田利家との対立を深め、一族の佐々平左衛門を木舟城におき、利家に備えた。1584年(天正12)、成政は前田氏の末森城(石川県羽咋郡宝達志水町)を攻略するための軍を起こしたが、城将の奥村永福らの抵抗を受けて、攻略に失敗し撤退した。翌1585年(天正13)、秀吉自らが軍勢を率いて北国征伐を行い、成政は降伏。これにともない、木舟城には利家の弟で今石動(いまいするぎ)城(小矢部市)の城主だった前田秀継が入城した。しかし、その後間もなく、木舟城は地震(天正大地震)により倒壊、城主の秀継夫妻は圧死した。また、この地震で城下町も壊滅的な被害を受けた。城跡は現在、水田の中にある比高1.8mほどの草に覆われた丘になっている。曲輪(くるわ)跡の土塁がわずかに残っているほか、城址碑が建っている。JR北陸本線福岡駅からバスで本領下車。◇木船城、貴船城とも記述される。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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