デジタル大辞泉 「木鶏」の意味・読み・例文・類語 もっ‐けい〔モク‐〕【木鶏】 《「ぼっけい」とも》1 木製のにわとり。2 (1から転じて)少しも動じない最強の闘鶏。また、強さを秘め、敵に対してまったく動じないことのたとえ。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
故事成語を知る辞典 「木鶏」の解説 木鶏 争おうとする気概こそ見えないものの、敵に対してまったく動じないようすのたとえ。 [使用例] 虚きょ憍きょうならず、嚮きょう景けいに応ぜず、疾視せず。盛気せず。実に所謂いわゆる木鶏の如ごとく其それ然しかりき[松村介石*老荘画談|1911] [使用例] 神戸の中谷清一氏や四国の竹葉秀雄氏にあてて、「イマダ モッケイタリエズ フタバ」と打電しましたのは、当時のわたくしの偽りない心情の告白でありました[時津風定次*相撲求道録|1956] [由来] 「荘子―達生」に出てくる話から。紀元前九世紀、周王朝の時代の中国でのこと。紀き渻せい子しという人物が、王のために闘鶏の鶏を訓練することになりました。一〇日経って王がようすを尋ねると、「まだです。やたら強がってばかりですから」との答え。また一〇日後、再び王が尋ねると、今度の答えは、「まだです。ほかの鶏をにらみつけていますから」。さらに一〇日が過ぎてから王がようすを尋ねたところ、「仕上がりました。ほかの鶏が鳴いてもまったく反応せず、『之これを望むに木鶏に似たり(木製の鶏の人形のように見えます)』。完璧です」と答えたということです。 [解説] ❶老荘思想には、争わなければ負けることもないから、それこそが勝利への最高の道である、という考え方があります。木鶏の話は、本来はそれを具体的に示したものです。❷一九三九(昭和一四)年、大相撲の横綱、双葉山が七〇連勝がかかった一番で敗れたとき、「いまだ木鶏たりえず」と述べたことは、有名。ここから、現在では、主にスポーツの場面で、「平常心を失わないで勝負に臨む」という意味合いで、よく用いられます。❸「ぼっけい」と読んでも間違いではありません。 木鶏 [参照] 木鶏 出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報