老荘思想 (ろうそうしそう)
Lǎo Zhuāng sī xiǎng
老荘とは,中国戦国時代の道家の巨匠老子と荘子である。老子はその実在が疑問視されてはいるが,荘子とともに宋の国の人といわれる。宋は周によって滅された殷王朝の末裔が建てた国で,古い文化的伝統を有する一方,長らく被征服民族としての悲哀と屈辱をなめてきたため,彼らの思想は他を支配することよりおのれの保身を第一とする,いわば弱者の処世術,しいたげられた者の生活の知恵を根底にもっていた。かかる思想文化の伝統はおのずから老荘思想の性格に影を落としている。老荘思想の一般的特徴として挙げられる,現実社会に対する批判と抵抗,超越(逃避)の精神,その結果としての内面的世界の凝視と精神世界における絶体的自由の確立,個が個としての本来的価値を回復しそれぞれの立場に安住することを理想とする徹底した個人主義,世俗的常識的価値観を根底から覆えす価値の転換,言語文字の軽視と体験の重視などは,いずれも社会の底辺にありながら覚めた眼でおのれと社会とを凝視するものの立場を反映したものといえよう。
かかる老荘思想を根底から支えているのは,一切万物を生成消滅させながらそれ自身は生滅を超えた超感覚的実在,現実世界のあらゆる対立差別の諸相を包摂してその間におのずからなる秩序を成り立たせている絶対的一者としての〈道(どう)〉の概念であり,その在り方を示す〈無為自然〉である。老荘思想は窮極的にはこの〈道〉のあり方を体得し,いっさいの人間的営為〈偽〉を捨てて,天地自然の理にそのまま順(したが)った真の〈為〉を実現することを目指すが,老子と荘子との間にはさまざまな相違も存在する。老子のもつ現実的政治的関心は,漢初において〈黄老の学〉として政治の指針とされ,また法家的権力支配の原理に付会されたが,荘子のもつ観念的思弁的傾向は,魏・晋の玄学を豊かに彩るとともに,仏教思想と結合して〈荘釈の学〉を生み,禅宗の成立に多大な影響を及ぼした。
なお日本では,《懐風藻》などの漢文学の分野にまず老荘思想の影響がみられるが,その理解はいまだ皮相的である。鎌倉・室町期の禅文化の隆盛は,必然的に禅思想と親近な老荘思想普及の契機をなし,江戸時代に入ると,芭蕉の俳諧や文人画の世界で荘子的軽妙洒脱さと禅教との高度の一体化が遂げられ,老荘思想は知識人必須の教養となった。また,徂徠学派,折衷学派の手で文献学的研究が進められ,老荘の原義の追究に多大な成果が挙げられた。
執筆者:麦谷 邦夫
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老荘思想【ろうそうしそう】
老子,荘子の哲学を奉じる道家および後世の思想文化の総称。魏晋時代には老荘思想を体現するために隠逸・逸民となり,権勢利欲の世界からのがれて琴酒諷詠の文人生活を送る者がいた。これは陶淵明,竹林の七賢などの文人に代表される。また老荘の無為自然の道を物質生活の面で理解した人びとは,神仙説の不老長寿や道教の福・禄・寿的富貴繁栄を希求した。さらにその反儒教的精神は権力支配に対する抗議となって現れ,逸民の清談,後漢の王充《論衡》などを生み,韓非(韓非子)の法治思想,漢初の黄老無為思想の根底にも老荘の哲学があった。
→関連項目南学|仏教|無為自然|六朝文化|六韜三略
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老荘思想
ろうそうしそう
中国の伝統思想。老子(ろうし)と荘子(そうし)をあわせた名称で、儒教を孔孟(こうもう)の教えとよぶように、道家(どうか)思想をさしていうときもある。ただ老荘を折衷して一つにまとめられた思想としての意味も強く、それがむしろ重要である。老子と荘子の思想は、もともと類似性はありながらもはっきりした違いがあり、老子では現実関心が強くて世俗的な成功主義も視野のなかにあるが、荘子では現実にとらわれないでそれを超え出る宗教的解脱(げだつ)の境地がある。それが荘子の後学によって融合され、『淮南子(えなんじ)』で初めて「老荘」という語が現れ、やがて魏晋(ぎしん)の時代(3世紀)になって、老荘思想の流行時代となった。『老子』の注が荘子の立場から書かれ、『荘子(そうじ)』の注も老子の語を交えて多くつくられたが、それに『易(えき)』を加えた三書を三玄(さんげん)とよんで尊重することも行われた。老荘の思想はこの時代に王弼(おうひつ)(226―249)によって「無」の哲学として成立した。貴族たちはその清談のなかで老荘の語を好んで用い、ときに権力に対する抵抗のよりどころともしたが、おおむねはその超俗的な境涯に個人的な慰安をみいだした。この後、隠遁(いんとん)思想に支柱を与え、宗教や芸術とのかかわりのなかでも生かされていくことになる。
[金谷 治]
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老荘思想
ろうそうしそう
Lao-Zhuang-si-xiang
老子と荘子の思想を合せた学説。一般には,道家思想と同義に用いる。「老荘」あるいは「荘老」という称呼は,魏晋時代から盛んに用いられるようになった。それ以前には必ずしも老子と荘子を結びつけてはいず,前漢の黄老思想のように,黄帝と老子とが結びつけられている場合もある。老子と荘子を愛好する風潮は魏晋以後の六朝時代を通じて盛んであり,清談や仏教の般若空の解釈などにも老荘思想が取入れられた。老子と荘子は,ともに無為を尊び,道を理想とする点で共通しているが,その考え方は互いに異なる。老子は無為を政治や処世や保身の術として説き,現実的で功利的な傾向が強い。荘子は形而上学的思弁や虚静無為の心境,あるいは礼法にとらわれない自由な生き方を説き,内省的で超俗的な色彩が濃い。
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老荘思想(ろうそうしそう)
老子,荘子が説いた虚無をもって宇宙の根源とし,無為をもって教義の極致とする思想。特に魏晋時代の思想界に流行し,清談(せいだん)の徒を生んだ。
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老荘思想
ろうそうしそう
老子を祖とし,荘子らが継承発展させた思想
人為的な儒学思想を批判し,根源的な自然の道に従う無為自然の生き方を主張した。魏晋時代に流行し,清談 (せいだん) の風を生み,また仏教を受け入れる思想的基盤をつくった。
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世界大百科事典(旧版)内の老荘思想の言及
【中国思想】より
… 漢の王朝は,秦の弾圧政策が人心を失ったことに省みて,その初期の70余年間は自由放任の政策を採った。そのためこの時期には道家の[老荘思想]が全盛を極めた。老荘は無為自然を理想とするが,政治的には自由放任の立場となって現れる。…
【中国哲学】より
…
[六朝時代]
後漢につづく400年間の六朝は,漢代の哲学不毛の時代とは対照的に,老荘や仏教を中心として哲学的関心が著しく高まった時期である。まずそれは[老荘思想]の流行となって現れる。魏の王弼(おうひつ)の《老子注》,西晋の郭象の《荘子注》は,注釈の形を借りながら独自の哲学を展開したもので,六朝のみならず後世を通じて愛読された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」