横綱(読み)よこづな

精選版 日本国語大辞典 「横綱」の意味・読み・例文・類語

よこ‐づな【横綱】

〘名〙
① 四手(しで)を垂れた白麻の太い綱。相撲大関の中の最優秀者に司家(つかさけ)吉田追風から授与され、土俵入りの際、化粧まわしの上に締めることを許された七五三縄(しめなわ)の綱。つな。〔相撲隠雲解(1793)〕
② 相撲力士最高位階級本来、化粧まわしの上に①を締めることを許された大関力士を称したが、のちには大関の上の力士最高位の階級をさすようになった。番付面に横綱の称号が現われたのは明治二三年(一八九〇)西ノ海が初めてで、その地位が確定したのは同四二年の「横綱申合規則」による。
※相撲講話(1919)〈日本青年教育会〉力士の階級と給金「横綱(ヨコヅナ)は力士の最上位で成績抜群の大力士に与へる資格である」
③ 転じて、その類の中で、第一番のもの。
江戸から東京へ(1921)〈矢田挿雲〉七「吉原捕物の横綱(ヨコヅナ)なる佐野治郎左衛門の騒ぎに比べては」

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デジタル大辞泉 「横綱」の意味・読み・例文・類語

よこ‐づな【横綱】

相撲で、力士の最高位。また、横綱力士の略称。本来は大関の中で、2を締めることを許された力士をさしたが、現在は、日本相撲協会が免許する地位。
四手しでを垂らした白麻の太い綱。力量・技の最もすぐれた大関に相撲行司家元吉田司家よしだつかさけから授与され、土俵入りのとき、化粧まわしの上に締めた七五三縄しめなわ
同類の中で最もすぐれた者。「マージャンでは彼が横綱だ」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「横綱」の意味・わかりやすい解説

横綱
よこづな

職業相撲(すもう)における番付上の最高位の階級。横綱力士の略称。また学生相撲の優勝者に与えられる「しめなわ」(学生横綱)。横綱の意味と内容は、時代によってかなり変わってきている。1789年(寛政1)、これまで寺や屋敷を建設するとき、力士によって行われていた地固め式の作法(しこ踏み)を、土俵上で演出することを考えた吉田司(つかさ)家が、谷風・小野川に「横綱之伝」を免許して、場所中に横綱土俵入りを披露(ひろう)したのが始まりである。当時の「横綱」とは、土俵入りのとき腰にまとう「しめなわ」をさしていい、横綱免許とは「しめなわ」を締めて1人土俵入りをする資格を伝授することであって、横綱は力士の階級でも尊称でもなかった。また直接には優勝に関係がなく、徳川将軍上覧相撲に際して選ばれた大関力士に儀式上の必要から免許が与えられた。幕末の混乱期にはその意味も薄れ、明治に入って長年功労のあった大関や天覧相撲に際して免許した例もある。維新後に独立した大阪・京都相撲は、吉田司家と別の相撲の家元五条家から横綱免許を得て、初めて番付に「横綱土俵入仕候」と書き添えた。

 1890年(明治23)5月、横綱免許の西ノ海が大関にかわる横綱の文字を初めて番付に記したことが、横綱を階級化する前提となった。これに刺激された幕末の大関陣幕(じんまく)は、引退して30年後の1895年に、これまでの大関力士のうちから横綱免許を受けた力士を「横綱力士」として選び、これを顕彰する記念碑建立(こんりゅう)を計画し、考案した横綱代数記載の文書を配布した。これには、明石(あかし)、綾川(あやがわ)、丸山の非実在の伝承力士まで加え、西ノ海の16代までを数え、記念碑は1900年(明治33)に完成した。さらに5年後には常陸山(ひたちやま)、梅ヶ谷(うめがたに)に免許があって、これまで張り出された横綱が正欄に記載されてからは、一般に階級とみるようになり、1911年には相撲協会が横綱を階級として成文化し確定した。1950年(昭和25)には「横綱審議委員会」という諮問会を設け、横綱の免許は相撲協会が候補力士を推挙し、その適否について横綱審議委員会の諮問を得て決定のうえ、協会が推挙状を授与する形式となった。なお現在の横綱推挙の条件は2場所連続優勝か、これに準ずる好成績をあげた大関力士となっている。

[池田雅雄]

横綱の綱のつくり方(綱打ち式)

綱の材料は、麻8~12キログラム、銅線3本、晒木綿(さらしもめん)6~9反。麻を米ぬかでもみほぐして絹糸のように細くし、もんだ麻を3本に分けて銅線を芯(しん)にして三筋つくる。これを晒2反で堅く巻き、3メートルぐらいの長さの綱を3本つくる。晒を巻くとき、腹部の前面にくるところを太くして両端は細くする。そして3本の綱を真中から左練りに撚(よ)り合わせる。これを綱打ち式といい、約3時間かかる。

[池田雅雄]


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百科事典マイペディア 「横綱」の意味・わかりやすい解説

横綱【よこづな】

職業相撲の力士の最高位およびその力士が腰に着ける綱。古くは番付上の地位ではなく,土俵入り(手数入(でずいり))のためにしめなわ(横綱)を着けたのが起源で,1790年には谷風梶之助,小野川喜三郎が相撲司家の吉田家から横綱土俵入りの免許を受けている。1890年西ノ海のときから番付にのり,1908年に大関の上の位として成文化された。横綱に代数をつけはじめたのは1900年,第12代横綱の陣幕久五郎であるが,初代明石志賀之助から3代までは史実ではない。現在横綱の資格は2場所連続優勝かこれに準ずる成績を残した大関力士を日本相撲協会が推挙,横綱審議会の諮問を得て決定する。大関以下と異なり,地位は下がらない。現在用いられている横綱は,銅線を芯(しん)とし白の麻と木綿でつくったもので,紙幣(しで)をつける。
→関連項目曙太郎梅ヶ谷藤太郎北の湖敏満相撲大鵬幸喜玉錦三右衛門千代の富士貢栃錦清隆常陸山谷右衛門双葉山定次雷電為右衛門若乃花幹士

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横綱」の意味・わかりやすい解説

横綱
よこづな

力士の番付上の最高位の階級。本来は社寺,住居などを建設する際,力士によって行なわれていた地固め式に張った綱,あるいはそのとき力士が身に着けていた締め綱を意味した。寛政1 (1789) 年その作法を土俵上で演出することを考えた吉田司家 (よしだつかさけ) が,谷風,小野川の両力士に横綱土俵入りの免許を与えたが,横綱はまだ力士の階級を表すものではなく,土俵入りをすることを許された力士が腰にまとっていた締め綱をいっていた。番付上に横綱の字句が記載されたのは 1890年西ノ海が最初で,以後次第に横綱は力士の地位を表すようになっていったが,横綱を階級として成文化し確定したのは,1909年東京大角力協会の規約改正による。現在横綱は,2場所連続優勝か,これに準じる成績を上げた力士が,横綱審議委員会の諮問を経て決定される。 1993年,アメリカのハワイ出身力士曙 (東関部屋) は,外国人として初めて推挙された。横綱の給与は月給制だが,これが収入のすべてではない。本場所ごとに場所手当てが支給され,昇進時も名誉賞が贈られる。このほかに持ち給金 (正式には力士褒賞金支給標準額という) に応じて本場所ごとに支給される褒賞金や,勝ち越しや優勝により加算されていく給金もある。 1957年5月から十両以上の力士の月給制度が確立した。

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知恵蔵 「横綱」の解説

横綱

実在を確認しうる初の横綱は1789年11月、江戸深川・富岡八幡宮での興行で生まれた。谷風と小野川だ。伝説上の3横綱(明石、綾川、丸山)を含めると、朝青龍は68人目となる。「強豪の力士が横綱を締めて土俵入りできる」という横綱の資格を考案したのは、相撲の行司を家業とし、「家元」のような存在だった吉田司(よしだつかさ)家・19世追風(おいかぜ)。ただ、当時は横綱とは大関の中でも特に強い力士に与えられる「名誉の資格の称号」であって、東京相撲で最高位力士としての地位が明確に定められたのは1909年。横綱は相撲協会側からの推挙に吉田司家が免許を与えるという形式が長く続いた。1951年に吉田司家の後継者問題から、横綱の昇進は相撲協会が番付編成会議で決定できることになった。その諮問機関として設置されたのが横綱審議委員会。横綱には成績にかかわらず番付が落ちない特権がある。その責任を果たし切れないとなれば引退するしかない。

(根岸敦生 朝日新聞記者 / 2007年)

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世界大百科事典 第2版 「横綱」の意味・わかりやすい解説

よこづな【横綱】

現在は相撲番付の最高地位,また,その力士をさす。横綱に関する古文書は少なく,1773年(安永2)に行司式守五太夫の書いた伝書によると,その起源は,城や屋敷を建てるときの地鎮祭に大関2人を招き,おはらいの地踏みを行ったが,その儀式免許を京都五条家が〈横綱之伝〉を許すといったことから始まったとされる。これを職業相撲の興行の土俵に移したのが吉田司(よしだつかさ)家で,89年(寛政1)11月場所中に,初めて谷風梶之助小野川喜三郎の両関脇(実力大関)に,〈横綱〉というしめ縄を腰にまとって土俵入りする免許を与えた。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「横綱」の解説

よこづな【横綱】

山口の日本酒。蔵元は「黒村酒造」。現在は廃業。蔵は大島郡周防大島町にあった。

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世界大百科事典内の横綱の言及

【日下開山】より

…横綱力士の別称。室町時代から〈天下一〉という言葉が流行したが,この呼称が1682年(天和2)に禁令になったため,武芸者,芸能者らは,これに代わって〈日下開山〉を用いるようになった。…

※「横綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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