朝日日本歴史人物事典 「末吉道節」の解説
末吉道節
生年:慶長13(1608)
江戸初期の俳人。名は増則。通称源太郎。道節は法名。末吉船で知られる豪家,摂津国平野郷(大阪府)東末吉家の分家,大坂本町の末吉之重の子。平野の本家増重(母の父)の養子となる。松永貞徳から古今伝授,伊勢物語講義を受け,貞徳と斎藤徳元に俳諧を学んだ。寛永19(1642)年,山本西武編の『鷹筑波集』に増重と共に入集して以来,貞門諸集に入集。『誹仙三十六人集』『誹諧百人一句』『古今誹諧師手鑑』にも選ばれている。「もしあらば雪女もや白うるり」の句によって,「白うるりの道節」と呼ばれた。義弟宗久(誹号寸計)も俳諧を能くした。
(加藤定彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報