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後西天皇 ごさいてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後西天皇
ごさいてんのう

[生]寛永14(1637).11.16.
[没]貞享2(1685).2.22.
第 111代の天皇 (在位 1654~63) 。名は良仁,幼称は秀宮。後水尾天皇の第8皇子。母は逢春門院藤原隆子,養母は東福門院源和子。後光明天皇に後嗣がないため,承応3 (54) 年践祚,明暦2 (56) 年即位。

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デジタル大辞泉の解説

ごさい‐てんのう〔‐テンワウ〕【後西天皇】

[1637~1685]第111代天皇。在位1654~1663。後水尾天皇の第7皇子。名は良仁(ながひと)。初め高松宮を継いだが、後光明天皇に皇嗣がなかったために即位。和歌にすぐれ、歌集「水日集」、日記「後西院御記」がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後西天皇 ごさいてんのう

1638*-1685 江戸時代前期,第111代天皇。在位1655*-63。
寛永14年11月16日生まれ。後水尾天皇の第8皇子。母は藤原隆子(逢春門院)。異母兄の後光明天皇のあと即位。父の上皇が院政をおこなう。江戸の明暦の大火,御所炎上,諸国で地震,風水害がおこるなど,凶事がつづいたこともあって譲位。東山御文庫の基となる御所の記録の副本をつくらせた。貞享(じょうきょう)2年2月22日死去。49歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は秀宮。諱(いみな)は良仁(ながひと)。別名に高松宮,桃園宮,花町宮。歌集に「水日集」,日記に「後西院御記」。
【格言など】へだてじな人の恵は春とともによにみちのくも花のみやこも(「水日集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

後西天皇

没年:貞享2.2.22(1685.3.26)
生年:寛永14.11.16(1638.1.1)
江戸前期の天皇。承応3(1654)~寛文3(1663)年在位。後水尾天皇の第8皇子,秀宮。母は櫛笥隆致の娘隆子(逢春門院)。諱は良仁。正保4(1647)年高松宮好仁親王の遺跡を継ぎ,桃園宮,花町宮を称す。慶安1(1648)年親王宣下,のち式部卿。承応3年9月, 後光明天皇崩御により,同天皇の養子識仁親王(霊元天皇)が生後間もないため中継ぎとして同年11月28日践祚,明暦2(1656)年1月23日即位。養母は東福門院。皇后明子女王の母は将軍秀忠の養女亀姫。性質穏和で和歌,連歌など文芸に優れ,御集『水日集』,御選『集外歌仙』がある。また書,茶,華,香道に練達。在位期から侍臣に命じて御府の記録類の副本を作成した功績は大きい。寛文1年皇居炎上に大半の御府蔵書が焼失したが,幸い副本は難を免れ現京都御所東山御文庫蔵書の基となった。在位期に天変地異が多く幕府から退位を迫られ,寛文3年1月26日譲位。京都泉涌寺内の 月輪陵 に葬られる。<参考文献>近世堂上和歌論集刊行会編『近世堂上和歌論集』,帝国学士院編『宸翰英華』2巻

(母利美和)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ごさいてんのう【後西天皇】

1637‐85(寛永14‐貞享2)
第111代に数えられる天皇。在位1656‐63年。後水尾天皇の第8皇子。名は良仁(ながひと)。高松宮好仁親王の遺跡を継いだが,1654年(承応3)後光明天皇の死去によりにわかに践祚。63年(寛文3)践祚時からの予定により霊元天皇に譲位。文芸に秀で,茶華や香道に練達し,著作も少なくないが,ことに記録類の副本を作成した事跡は名高い。追号は後の西院帝(淳和天皇の別称)の意。陵墓は京都月輪陵。【武部 敏夫】

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大辞林 第三版の解説

ごさいてんのう【後西天皇】

1637~1685) 第一一一代天皇(在位1654~1663)。名は良仁ながひと。後水尾天皇の第八皇子。後光明天皇に嗣子がなかったので践祚せんそし、2年後1656年即位。歌集「水日集」、日記「後西院御記」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後西天皇
ごさいてんのう
(1637―1685)

第111代天皇(在位1654~63)。名は良仁(ながひと)。幼称は秀宮。後水尾(ごみずのお)天皇の第7皇子。母は藤原隆子(逢春門院(ほうしゅんもんいん))。中宮徳川和子(かずこ)を養母とする。寛永(かんえい)14年11月16日降誕。高松宮明子女王を室としていったん高松宮家を継いだが、後光明(ごこうみょう)天皇の没後に皇嗣(こうし)がなかったので、1654年(承応3)11月28日践祚(せんそ)、翌々年即位。1663年(寛文3)1月26日霊元(れいげん)天皇に譲位。貞享(じょうきょう)2年2月22日没す。京都・泉涌寺(せんにゅうじ)月輪(つきのわ)陵に葬る。追号の「後西」は、淳和(じゅんな)天皇の称号西院帝に対するもので、後西院天皇ともいったが、1926年(大正15)後西に統一。和歌を好み、歌学に通じる。歌集に『水日集』などがある。[高木昭作]

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