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後光明天皇 ごこうみょうてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後光明天皇
ごこうみょうてんのう

[生]寛永10(1633).3.12. 京都
[没]承応3(1654).9.20. 京都
第 110代の天皇 (在位 1643~54) 。名は紹仁 (つぐひと) ,幼名は素鵞宮 (すがのみや) 。後水尾 (ごみずのお) 天皇の第4皇子。母は壬生院藤原光子。養母は東福門院源和子。寛永 20 (43) 年 11歳で即位。

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デジタル大辞泉の解説

ごこうみょう‐てんのう〔ゴクワウミヤウテンワウ〕【後光明天皇】

[1633~1654]第110代天皇。在位1643~1654。後水尾天皇の皇子。名は紹仁(つぐひと)。儒学を好み、典礼格式を重んじた。漢詩集「鳳啼集」がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後光明天皇 ごこうみょうてんのう

1633-1654 江戸時代前期,第110代天皇。在位1643-54。
寛永10年3月12日生まれ。後水尾天皇の第4皇子。母は藤原光子(壬生(みぶ)院)。異母姉明正(めいしょう)天皇の譲位により即位し,父の上皇がひきつづき院政をおこなう。儒学(朱子学)をまなび,藤原惺窩(せいか)に私淑。正保(しょうほ)3年,応仁(おうにん)の乱で中断していた伊勢例幣使を再興した。疱瘡(ほうそう)にかかり,承応(じょうおう)3年9月20日死去。22歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は素鵞(すがの)宮。諱(いみな)は紹仁(つぐひと)。詩歌集に「鳳啼(ほうてい)集」。
【格言など】霜の後の松にもしるしさかゆべき我が国民の千代のためしは(「公宴御会」抜書)

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朝日日本歴史人物事典の解説

後光明天皇

没年:承応3.9.20(1654.10.30)
生年:寛永10.3.12(1633.4.20)
江戸前期の天皇。寛永20(1643)~承応3(1654)年在位。後水尾天皇の第4皇子,素鵞宮。母は園基任の娘京極局光子(壬生院)。諱は紹仁。寛永19年12月15日親王宣下,20年10月3日践祚,同月21日即位。東福門院が養母となり,形式的には徳川氏は外戚の地位を保った。幼少から聡明,特に和学よりも儒学,詩文を好み,朝山意林庵などの民間の朱子学者を招いて聴講,また藤原惺窩を追慕し文集に序文を与えた。詩作は『鳳啼集』にみられる。一方武芸を学ぶなどいささか激烈な性質,言動があり,将来を期待した後水尾は短慮を慎むこと,仏神を敬い学問に励むこと,幕府に弱みを握られないよう行動を律することなど3回にわたる訓戒書を与えた。しかし在位12年,疱瘡により22歳で没。京都泉涌寺内の 月輪陵 に葬られる。<参考文献>熊倉功夫『後水尾院』(『朝日評伝選』26巻)

(母利美和)

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世界大百科事典 第2版の解説

ごこうみょうてんのう【後光明天皇】

1633‐54(寛永10‐承応3)
第110代に数えられる天皇。在位1643‐54年。後水尾天皇の皇子で名は紹仁。剛毅な性格で学問を好んだ。はじめ和歌には興味を持たなかったが,父天皇にさとされて学ぶようになった。若くして酒を多く飲み,徳大寺公信の諫めに一時は激怒したが,翌日はそれをいれた話が有名。疱瘡にかかり,わずか22歳で没した。陵所は京都市東山区今熊野泉山町にある(月輪陵)。【飯倉 晴武】

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大辞林 第三版の解説

ごこうみょうてんのう【後光明天皇】

1633~1654) 第一一〇代天皇(在位1643~1654)。名は紹仁つぐひと。後水尾天皇の第四皇子。漢詩集「鳳啼ほうてい集」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後光明天皇
ごこうみょうてんのう
(1633―1654)

第110代天皇(在位1643~54)。名は紹仁(つぐひと)。素鵞宮(すがのみや)と称す。後水尾(ごみずのお)天皇の子。実母は贈左大臣園基任(そのもととう)の女(むすめ)壬生(みぶ)院光子。養母は徳川2代将軍秀忠(ひでただ)の女東福門院和子(かずこ)。先帝たる姉明正(めいしょう)天皇の譲を受けて1643年(寛永20)位につき、承応(じょうおう)3年9月20日崩御。月輪(つきのわ)陵に葬る。その子に孝子内親王(礼成門院)があったが、男子なくて血統は断絶し、皇統は結局この天皇の弟霊元(れいげん)天皇が猶子(ゆうし)として受け継ぎ、その流れがのちに存続することになった。『鳳啼(ほうてい)集』と称する著作があり、それには詩92首、歌5首が収められている。[村田正志]

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