末歳村(読み)まつさいむら

日本歴史地名大系 「末歳村」の解説

末歳村
まつさいむら

[現在地名]山東町末歳

矢名瀬やなせ村の南、しば川と粟鹿あわが川の流域に位置する。元和五年(一六一九)和泉国岸和田城から移封した出石いずし(現出石町)城主小出吉英の領知になったと推定される。寛永一六年(一六三九)の知高帳に「末歳村」とみえ、出石藩領で、高三九一石余のうち畑二石余。正保(一六四四―四八)頃の国絵図でも高三九一石余。寛文七年(一六六七)から幕府領になったと考えられる(安政六年「大月庄五ヵ村地不足につき願書」日下家文書など)。天和三年(一六八三)の地改では地なし分を減ずるどころか、下田中田に、中田を上田にして斗代を上げられたという(同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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