末田稲麿(読み)すえた いなまろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「末田稲麿」の解説

末田稲麿 すえた-いなまろ

1752-1803 江戸時代後期の国学者
宝暦2年1月18日生まれ。安芸(あき)広島で薬種商をいとなむ。寛政2年(1790)本居宣長(もとおり-のりなが)に入門,広島における国学草分けとなる。のち橋本稲彦をみいだし,宣長に入門させた。子の道麿は広島藩の国学教授となる。享和3年3月16日死去。52歳。初名は芳麿。通称は忠八郎。屋号井筒屋

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android