本受寺(読み)ほんじゆじ

日本歴史地名大系 「本受寺」の解説

本受寺
ほんじゆじ

[現在地名]堺市宿屋町東三丁

宝珠(ほうじゆ)院の西側にあり、本門法華宗で山号陽光山、本尊十界大曼荼羅。もと日蓮宗八品派。寛正二年(一四六一)日陽の開基という(寺蔵由緒書)。明治四二年(一九〇九)本興(ほんこう)寺(現兵庫県尼崎市)末寺となった。西家の菩提所として知られる。西家は肥前大村(おおむら)の大村丹後守喜前の家臣で、西宗真は文禄―慶長(一五九二―一六一五)頃より度々ルソンに渡航、朱印船貿易に従事した。洗礼名を類子(ルイス)というキリシタンで、徳川家康の知己を得て帰国の際はルソンの品を献上、彼の地の報告をした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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