20世紀日本人名事典 「本坊豊吉」の解説 本坊 豊吉ホンボウ トヨキチ 昭和・平成期の実業家 鹿児島放送会長;本坊酒造取締役相談役。 生年明治38(1905)年8月1日 没年平成4(1992)年1月6日 出生地鹿児島県加世田市津貫 学歴〔年〕慶応義塾大学法学部〔昭和7年〕卒 主な受賞名〔年〕藍綬褒章〔昭和45年〕 経歴10人兄弟の9番目、6男。父が興した焼酎製造の家業をつぎ、「さつま白波」で全国的な焼酎ブームをまき起こした。長崎自動車、上海食品工業各社長、中外製薬常務を歴任。昭和36年加世田商工会議所会頭。57年鹿児島放送設立の際社長となり、62年6月会長に就任。南九州コカ・コーラボトリング社長もつとめた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本坊豊吉」の解説 本坊豊吉 ほんぼう-とよきち 1905-1992 昭和-平成時代の実業家。明治38年8月1日生まれ。本坊浅吉の弟。中外製薬常務をへて,昭和36年郷里鹿児島県の薩摩(さつま)酒造,本坊酒造の社長となり,本坊7兄弟の6男として本坊グループの発展につくす。また鹿児島放送の運営にも参画し,57年社長。平成4年1月6日死去。86歳。慶大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by