朝日日本歴史人物事典 「本多富正」の解説
本多富正
生年:元亀3(1572)
安土桃山,江戸前期の武将。通称は源四郎,志摩,伊豆守,丹波守。号は元覚。本多孫左衛門重富の子。妻は土岐山城守定政の娘。天正14(1586)年徳川家康の命により家康の次男秀康に付けられ,のち家老となる。慶長6(1601)年秀康が越前国福井に転封となると,富正は3万9000石を領して府中城(福井県武生市)に居を構えた。同12年閏4月秀康が没すると富正もこれに殉じようとしたが,徳川家康,秀忠の書状によってとどめられた。同18年5月19日には久世騒動の裁決があり以後越前国政を預かる朱印状を受ける。大坂の陣では松平忠直に従い天王寺表で奮戦。その様子は『本多富正一手江討取首数覚』『本多富正家伝抜書』に詳しい。のち秀康の次男松平忠昌に仕え,4万5200石を領した。
(藤實久美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報