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本多富正 ほんだ とみまさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本多富正 ほんだ-とみまさ

1572-1649 織豊-江戸時代前期の武将。
元亀(げんき)3年生まれ。結城秀康(ゆうき-ひでやす)につかえ,秀康が越前(えちぜん)福井に封じられると,家老として越前府中城主となる。秀康が没すると殉死を決意したが,将軍徳川秀忠にとどめられ,2代藩主松平忠直,3代忠昌につかえた。慶安2年8月12日死去。78歳。三河(愛知県)出身。通称は源四郎,志摩。

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朝日日本歴史人物事典の解説

本多富正

没年:慶安2.8.12(1649.9.18)
生年:元亀3(1572)
安土桃山,江戸前期の武将。通称は源四郎,志摩,伊豆守,丹波守。号は元覚。本多孫左衛門重富の子。妻は土岐山城守定政の娘。天正14(1586)年徳川家康の命により家康の次男秀康に付けられ,のち家老となる。慶長6(1601)年秀康が越前国福井に転封となると,富正は3万9000石を領して府中城(福井県武生市)に居を構えた。同12年閏4月秀康が没すると富正もこれに殉じようとしたが,徳川家康,秀忠の書状によってとどめられた。同18年5月19日には久世騒動の裁決があり以後越前国政を預かる朱印状を受ける。大坂の陣では松平忠直に従い天王寺表で奮戦。その様子は『本多富正一手江討取首数覚』『本多富正家伝抜書』に詳しい。のち秀康の次男松平忠昌に仕え,4万5200石を領した。

(藤實久美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の本多富正の言及

【府中】より

…1575年(天正3)府中三人衆の一人前田利家が居城。1601年(慶長6)結城秀康が3万6000石で付家老本多富正を配して以来,本多氏の城下町として発展した。南端の亀屋町から北府(きたご)町へ北陸街道が北上し,街道に沿って町屋を置き,東方に侍屋敷が広がり,その中央に御茶屋と呼ばれた本多氏の居館があり,西方には寺を配した。…

※「本多富正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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