本多富正(読み)ほんだ とみまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多富正」の解説

本多富正 ほんだ-とみまさ

1572-1649 織豊-江戸時代前期の武将
元亀(げんき)3年生まれ。結城秀康(ゆうき-ひでやす)につかえ,秀康が越前(えちぜん)福井に封じられると,家老として越前府中城主となる。秀康が没すると殉死を決意したが,将軍徳川秀忠にとどめられ,2代藩主松平忠直,3代忠昌につかえた。慶安2年8月12日死去。78歳。三河(愛知県)出身通称源四郎,志摩。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の本多富正の言及

【府中】より

…1575年(天正3)府中三人衆の一人前田利家が居城。1601年(慶長6)結城秀康が3万6000石で付家老本多富正を配して以来,本多氏の城下町として発展した。南端の亀屋町から北府(きたご)町へ北陸街道が北上し,街道に沿って町屋を置き,東方に侍屋敷が広がり,その中央に御茶屋と呼ばれた本多氏の居館があり,西方には寺を配した。…

※「本多富正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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