本多小太郎(読み)ほんだ・こたろう

朝日日本歴史人物事典 「本多小太郎」の解説

本多小太郎

没年:元治1.7.19(1864.8.20)
生年:文政3(1820)
幕末尊攘派志士。近江膳所藩(滋賀県)藩士。父は山本隆左衛門,母は川辺氏。藩政に不満を持ち,泥酔して両刀を放棄するという失態をことさらに演じ,士籍を削られる。その後京都明暗寺に入り虚無僧となる。但馬養父村の明暗寺出張所を拠点として尊王攘夷運動を進めた。文久3(1863)年8月大和に天誅組が挙兵するとこれに呼応,8月18日の政変後の劣勢挽回を図り但馬生野に挙兵を画策。天誅組壊滅ののち総帥の沢宣嘉に中止を進言するが容れられず,挙兵に参加。敗れて逃亡中,姫路藩兵に捕らえられ京都六角の獄に送られた。翌年7月,長州藩尊攘派による禁門の変に際し,獄中に斬られる。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多小太郎」の解説

本多小太郎 ほんだ-こたろう

1820-1864 幕末の武士
文政3年生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)膳所(ぜぜ)藩士。藩を辞して虚無僧となり,素行と名のって尊攘(そんじょう)運動にくわわった。文久3年生野(いくの)の変で姫路藩兵に捕らえられ,元治(げんじ)元年7月20日京都六角の獄中で殺された。45歳。本姓は山本。通称は別に吉之允,隆助

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android