朝日日本歴史人物事典 「本多小太郎」の解説
本多小太郎
生年:文政3(1820)
幕末の尊攘派志士。近江膳所藩(滋賀県)藩士。父は山本隆左衛門,母は川辺氏。藩政に不満を持ち,泥酔して両刀を放棄するという失態をことさらに演じ,士籍を削られる。その後京都明暗寺に入り虚無僧となる。但馬養父村の明暗寺出張所を拠点として尊王攘夷運動を進めた。文久3(1863)年8月大和に天誅組が挙兵するとこれに呼応,8月18日の政変後の劣勢挽回を図り但馬生野に挙兵を画策。天誅組壊滅ののち総帥の沢宣嘉に中止を進言するが容れられず,挙兵に参加。敗れて逃亡中,姫路藩兵に捕らえられ京都六角の獄に送られた。翌年7月,長州藩尊攘派による禁門の変に際し,獄中に斬られる。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報