ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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尺八を吹きながら家々を回り、托鉢(たくはつ)を受ける僧。薦(こも)僧、菰(こも)僧というのが本来の呼び名で、諸国を行脚(あんぎゃ)して遊行(ゆぎょう)の生活を送り、雨露をしのぐために菰を持ち歩いたからである。ぼろを身にまとって物乞(ものご)いしたので、暮露(ぼろ)とも梵論字(ぼろんじ)(梵論師)ともよばれた。普化(ふけ)僧ともいう。普化宗は禅宗の一派で、中国の唐代の普化和尚(おしょう)を始祖とし、法燈(ほっとう)国師覚心(かくしん)が宋(そう)から日本に伝来したという。覚心は紀伊国(和歌山県)に興国寺を開山し、宗旨も広まり多くの流派ができた。
虚無僧寺としては、京都の明暗寺、下総(しもうさ)小金(こがね)(千葉県松戸市)の一月寺(いちがつじ)、武蔵(むさし)青梅(おうめ)(東京都青梅市)の鈴法寺(れいほうじ)などが著名であった。普化宗では、心を虚(むな)しくして尺八を吹き、虚無吹断を禅の至境とした。近世初期には武士以外の入宗(にっそう)を認めず、また幕府も自由の旅を許すなどの特典を与えたが、浪人や無頼の徒が身を隠す手段に利用し、乱暴をはたらくなどの弊害が続出した。普化宗は1871年(明治4)に廃宗となり、88年に京都に明暗教会が設立されたが、虚無僧は宗教から離れ、尺八修業の方便か物乞いの手段かになって影を潜めた。僧とはいいながら半僧半俗で、多くは有髪(うはつ)で、天蓋(てんがい)と称する深編笠(ふかあみがさ)をかぶり、着流しで、首から袈裟(けさ)と頭陀袋(ずだぶくろ)をかけた。手甲(てっこう)・脚絆(きゃはん)なども着けた。古くは草鞋(わらじ)を履いたが、江戸時代の中ごろから高下駄(たかげた)を履くようになった。出没自在、腕のたつこと、無頼性など、不思議な魅力をもつところから、時代劇では善玉としても悪玉としても、しばしば脇役(わきやく)として登場する。
[井之口章次]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…そのうち,一月寺と鈴法寺が触頭に指定されて関東地域の諸派寺院を統括し,関西地方は京都の明暗寺などがその任にあたった。 普化宗は江戸幕府との関係が密接で,1614年普化宗の僧徒である虚無僧は,勇士浪人の一時の隠れ家であるとなし,虚無僧取立ては武士に限るとするなどの掟書を出し,武門の正道を失うことなく,武者修行の宗門であると規定していて,幕府の浪人取締策として普化宗を公認するという側面をもったが,しだいに復讐や仕官を目的とする者や無頼の徒がふえたため,その悪行を禁令によって厳しく取り締まっている。宗徒となるときは入宗証文を提示し,宗門に帰依する趣旨をいい,弟子となることを誓約するなどし,その後住持から尺八や天蓋(てんがい)が手渡された。…
※「虚無僧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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