本多弘吉
ほんだひろきち
(1906―1982)
地震学者。鳥取県出身。1929年(昭和4)東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、中央気象台に勤務。1940年初代の地震課長となる。1942年朝鮮総督府気象台長を経て、1946年(昭和21)中央気象台付属気象技術官養成所主事(現在の気象大学校校長にあたる)、1948年仙台管区気象台長。1951年東北大学理学部教授、1960年には東京大学理学部教授を務めた。1931年には前年発生した北伊豆地震の研究から早くも震源に2組の偶力を想定する発震機構を提唱し、今日の断層地震説の先駆けとなった。主著の『地震波動』(1942)は名著の誉れが高い。
[藤井陽一郎]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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本多 弘吉
ホンダ ヒロキチ
昭和期の地震学者 東京大学教授。
- 生年
- 明治39(1906)年3月24日
- 没年
- 昭和57(1982)年8月23日
- 出身地
- 鳥取県
- 学歴〔年〕
- 東京帝大卒
- 経歴
- 中央気象台に入る。昭和15年初代地震課長、朝鮮総督府、仙台管区の各気象台長などを経て、26年東北大学教授、35年東京大学教授。北伊豆地震を研究、断層地震説を唱えた。著作に「地震波動」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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ほんだこうきち
本多弘吉
1906.3.24~1982. 8.23 地球物理学者。鳥取県生まれ。1926年東京帝国大学理学部物理学科卒後,中央気象台に入り,地震課長,仙台管区気象台長等を歴任。1960年東京大学理学部教授。1923年の関東大地震を契機に拡充整備された日本の観測網を活かして,発震機構の研究を世界に先駆けて体系化し,日本列島とその付近の中・深発地震の発震機構をほぼまとめあげた。
執筆者:会田 信行
出典 平凡社「最新 地学事典」最新 地学事典について 情報
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本多弘吉 ほんだ-ひろきち
1906-1982 昭和時代の地震学者。
明治39年3月24日生まれ。中央気象台にはいり,昭和15年初代地震課長となる。朝鮮総督府,仙台管区の各気象台長などをへて,26年東北大教授,35年東大教授。北伊豆(いず)地震を研究してはやくから断層地震説をとなえた。昭和57年8月23日死去。76歳。鳥取県出身。東京帝大卒。著作に「地震波動」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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