デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多政均」の解説 本多政均 ほんだ-まさちか 1838-1869 幕末の武士。天保(てんぽう)9年5月8日生まれ。代々加賀金沢藩の執政で,金沢城代をつとめる。文久3年八月十八日の政変の際は京都御所中立売(なかだちうり)門を警護した。元治(げんじ)元年以降,勤王派弾圧に関与した。新兵器による軍制改革や職制改革など藩政改革をすすめたが,守旧派ににくまれ明治2年8月7日刺殺された。32歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「本多政均」の解説 本多政均 没年:明治2.8.7(1869.9.12) 生年:天保9.5.8(1838.6.29) 幕末の加賀(金沢)藩士。本多正信を祖先とする5万石の大身,このことにより大名の格式を有した。明治維新後の藩政改革を指導,洋式兵制の導入を図る。これに藩主追放の風評が加わり,攘夷派不平士族により殺害された。 (井上勲) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「本多政均」の解説 本多 政均 (ほんだ まさちか) 生年月日:1838年5月8日江戸時代;明治時代の加賀藩士1869年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by