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本庄宗資 ほんじょう むねすけ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本庄宗資 ほんじょう-むねすけ

1629-1699 江戸時代前期の大名。
寛永6年生まれ。父は本庄宗正。姉光子は徳川家光の側室(桂昌院)で,徳川綱吉を生む。綱吉にひきたてられ館林(たてばやし)藩奏者役をへて,延宝8年御家人となる。元禄(げんろく)5年常陸(ひたち)(茨城県)笠間(かさま)藩主本庄家初代。4万石。7年1万石を加増された。元禄12年8月16日死去。71歳。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

本庄宗資

没年:元禄12.8.16(1699.9.9)
生年:寛永6(1629)
江戸時代の幕臣,大名。通称は平四郎,次郎左衛門太郎兵衛宗正の子。5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院 の弟。その関係から,明暦2(1656)年綱吉に召し出され,廩米800俵を給されて神田館の奏者衆,のち寄合となる。延宝8(1680)年綱吉の将軍家相続に伴って幕臣に列し,翌天和1(1681)年1200石を加増されたうえ廩米を改めて2000石を知行。3年3000石加増。翌貞享1(1684)年寄合となり,従五位下因幡守に叙任。元禄1(1688)年5000石を加増されて1万石の大名に取り立てられ,翌2年にも1万石加増。3年従四位下に叙され,5年に綱吉および桂昌院が宗資の屋敷を訪れた際,2万石を加増されて常陸国笠間城主となる。7年に綱吉,桂昌院の訪問があった際にも1万石を加増され,計5万石を領す。同年侍従に進む。桂昌院の縁者で,幕臣や大名に取り立てられた家は兄道芳系と宗資系の2系統があり,道芳系は孫道章 の代にようやく1万石の大名となった。これに対し,宗資系は子資俊の代にも2万石を加増されたうえ,別に孫宗長も2万石の大名に取り立てられた。この差は道芳が早くに没したためでもあるが,道芳が桂昌院の異母兄であるのに対し,宗資の方は同母弟であったことにも起因するものと思われる。宗資は桂昌院の縁により異数の出世をしたが,才智発明で仁心があったという。

(深井雅海)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ほんじょうむねすけ【本庄宗資】

1629‐99(寛永6‐元禄12)
江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の弟。1656年(明暦2)綱吉に仕え,80年(延宝8)幕臣となり800俵を給せられる。その後綱吉の恩寵厚く栄進をとげ,84年(貞享1)従五位下因幡守に叙任。88年1万石の大名となる。翌89年従四位下に昇進。92年4万石で常陸笠間城主となる。94年1万石加増,侍従に進む。将軍,桂昌院を私邸に迎えることもしばしばあった。【辻 達也】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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