朝日日本歴史人物事典 「本庄宗資」の解説
本庄宗資
生年:寛永6(1629)
江戸時代の幕臣,大名。通称は平四郎,次郎左衛門。太郎兵衛宗正の子。5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院 の弟。その関係から,明暦2(1656)年綱吉に召し出され,廩米800俵を給されて神田館の奏者衆,のち寄合となる。延宝8(1680)年綱吉の将軍家相続に伴って幕臣に列し,翌天和1(1681)年1200石を加増されたうえ廩米を改めて2000石を知行。3年3000石加増。翌貞享1(1684)年寄合となり,従五位下因幡守に叙任。元禄1(1688)年5000石を加増されて1万石の大名に取り立てられ,翌2年にも1万石加増。3年従四位下に叙され,5年に綱吉および桂昌院が宗資の屋敷を訪れた際,2万石を加増されて常陸国笠間城主となる。7年に綱吉,桂昌院の訪問があった際にも1万石を加増され,計5万石を領す。同年侍従に進む。桂昌院の縁者で,幕臣や大名に取り立てられた家は兄道芳系と宗資系の2系統があり,道芳系は孫道章 の代にようやく1万石の大名となった。これに対し,宗資系は子資俊の代にも2万石を加増されたうえ,別に孫宗長も2万石の大名に取り立てられた。この差は道芳が早くに没したためでもあるが,道芳が桂昌院の異母兄であるのに対し,宗資の方は同母弟であったことにも起因するものと思われる。宗資は桂昌院の縁により異数の出世をしたが,才智発明で仁心があったという。
(深井雅海)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報