日本歴史地名大系 「本所徳右衛門町一丁目」の解説 本所徳右衛門町一丁目ほんじよとくえもんちよういつちようめ 東京都:墨田区旧本所区地区本所徳右衛門町一丁目[現在地名]墨田区立川(たてかわ)三丁目本所林(ほんじよはやし)町五丁目の東に続く片側町。南は武家地、北は竪(たて)川に面する。もとは徳川家康の関東入国以来囲碁の相手を勤めた立石豊後の拝領地で、神田柳原和泉(かんだやなぎはらいずみ)橋際の後の竜閑(りゆうかん)町代地(現千代田区)辺りにあった。その後町屋となり、地主で豊後の子徳右衛門の名をとって徳右衛門町と称した。寛文元年(一六六一)火除地の設定のために召上げられ、本所三ッ目(みつめ)の当地に代地を与えられて移転した。天和三年(一六八三)本所一円の武家屋敷・町屋が御用地に収公された際、代地がなく小間割で一千一八六両を与えられて立退いたが、元禄六年(一六九三)従前の地を与えられて当地に復した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報