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本明海 ほんみょうかい

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本明海 ほんみょうかい

1623-1683 江戸時代前期の僧。
元和(げんな)9年生まれ。もと出羽(でわ)鶴岡藩(山形県)藩士。寛文元年藩主酒井忠当(ただまさ)の病気平癒の祈願のため湯殿山に代参し,翌年注連寺で出家。本明寺をたて,数千日の山籠修行や木食(もくじき)行をおこない,土中断食死して湯殿山最古の即身仏になったという。天和(てんな)3年閏(うるう)5月8日死去。61歳。本姓は斎藤。俗名は富樫吉兵衛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

本明海

没年:天和3.閏5.8(1683.7.2)
生年:元和9頃(1623)
出羽湯殿山の最古の即身仏(即身成仏した行者のミイラ)。本明寺(山形県朝日村東岩本)に祀られる。俗名は富樫吉兵衛。庄内藩の下級武士斎藤徳左衛門の子として生まれ,富樫右馬之助の養子となる。40歳のとき,藩主の病気平癒祈願で湯殿山に代参し,霊感を受けて注連寺で入門し一世行人となる。本明寺を建て,数千日の間,湯殿山奥の院近くの仙人沢山籠修行ののち,本明寺境内で土中入定(土中断食死)し,3年後に掘り出されて即身仏になったと伝える。本明海が入定するとき,「諸人の如何なる心願も成就せしめん」といい残したとも,「国家万民を救わんがため」に入定するといったともいう。当時の庄内地方は,藩政確立期の経済政策の矛盾が噴き出し,凶作と重なって多くの餓死者を続出させ,巡見使への直訴が起こるという社会情勢だった。<参考文献>内藤正敏『ミイラ信仰の研究』,同『修験道の精神宇宙』

(内藤正敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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