朝日日本歴史人物事典 「本明海」の解説
本明海
生年:元和9頃(1623)
出羽湯殿山の最古の即身仏(即身成仏した行者のミイラ)。本明寺(山形県朝日村東岩本)に祀られる。俗名は富樫吉兵衛。庄内藩の下級武士斎藤徳左衛門の子として生まれ,富樫右馬之助の養子となる。40歳のとき,藩主の病気平癒祈願で湯殿山に代参し,霊感を受けて注連寺で入門し一世行人となる。本明寺を建て,数千日の間,湯殿山奥の院近くの仙人沢山籠修行ののち,本明寺境内で土中入定(土中断食死)し,3年後に掘り出されて即身仏になったと伝える。本明海が入定するとき,「諸人の如何なる心願も成就せしめん」といい残したとも,「国家万民を救わんがため」に入定するといったともいう。当時の庄内地方は,藩政確立期の経済政策の矛盾が噴き出し,凶作と重なって多くの餓死者を続出させ,巡見使への直訴が起こるという社会情勢だった。<参考文献>内藤正敏『ミイラ信仰の研究』,同『修験道の精神宇宙』
(内藤正敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報