日本歴史地名大系 「本湊町」の解説 本湊町ほんみなとちよう 東京都:中央区旧京橋区地区本湊町[現在地名]中央区湊一―二丁目南八丁堀(みなみはつちようぼり)五丁目東端の南にある。稲荷(いなり)橋南詰から南に続く両側町。西は武家地、東は大川(隅田川)に面する。沼沢地を開発して成立したという。南に続く船松(ふなまつ)町・十軒(じつけん)町・明石(あかし)町とともに海沿いは鉄砲洲(てつぽうず)と称され、鉄砲洲を冠してよばれることもあった。寛文新板江戸絵図に本湊町とみえる。安永三年小間附町鑑によると京間二〇〇間二尺、公役金を納める。名主は岡崎十左衛門(同小間附町鑑、宝暦七年万世町鑑)。東側河岸地は湊河岸と称される。南端から船松町との間の入堀には小橋が架けられていた。文政七年(一八二四)の江戸買物独案内には足袋股引所の伊勢屋長十郎、鍋釜問屋松井屋六兵衛、鼻紙袋・紙煙草入卸所の西川伊兵衛、本八丈島・織物類御用所の八丈島屋与市、水油仲買・下り酒問屋の尼屋利兵衛、明樽問屋河内屋佐兵衛、醤油酢問屋の伊勢屋幸右衛門の店がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by