本砥島(読み)ほんどのしま

日本歴史地名大系 「本砥島」の解説

本砥島
ほんどのしま

島とも記され、その範囲は現在の本渡市一帯からしも島東部の天草新和しんわ大多尾おおだお宮地みやじ浦、同郡天草町高浜たかはま、南部の同郡河浦かわうらうぶ島、牛深うしぶか深海ふかみ町にまで及んでいた。中世当島をめぐって天草・志岐両氏の抗争が繰広げられた。当島は大宰府官人である大蔵氏の一族天草種有によって開発された(元徳元年一〇月日「志岐弘円代覚心重申状案」志岐文書)。種有は貞永二年(一二三三)二月一六日「ほんとのしま」地頭職惣領の播磨局(大蔵太子)に、同島内の「かうちのうら」(現河浦町河浦)をこま王らに、「おほミ」村(現天草町大江)を女子をくくまに、「かちやまかうち」と新開の「たかハま」(現天草町高浜)・「ひらうら」(現河浦町宮野河内上平・深海町下平)・「うふしま」(現河浦町産島)を又太郎入道に譲与している(「天草種有譲状案」同文書)

下島北部を領していた志岐景光は、北条得宗家代官として勢力を強め、天草氏の尼妙性と婚姻関係を結び、当島南部への進出を図った。応長元年(一三一一)八月一四日、妙性は本砥の百姓在家のうち五人を継子にあたる景光の子景弘(弘円)に譲与し、残り五人は妙性分とし、浮免百姓と「をゝたを」(現新和町大多尾)、「ふかミ」(現深海町)、「しをや・ふなたうら」の百姓は両方より召使うと定めている(「尼めうしやう避状案」志岐文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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