本荘城(読み)ほんじょうじょう

日本の城がわかる事典 「本荘城」の解説

ほんじょうじょう【本荘城】

秋田県由利本荘市にあった江戸時代の梯郭式の平山城(ひらやまじろ)。本丸、二の丸、三の丸からなる。江戸時代を通じて本荘藩主の居館と政庁が置かれていた。1610年(慶長15)、山形城(山形県山形市)の最上義光(よしみつ)家臣の楯岡満茂(たておかみつしげ)が築城し、1622年(元和8)の最上氏改易後、将軍徳川秀忠(ひでただ)から城の改修を咎められた15万5000石の宇都宮藩主本多正純(まさずみ)が5万5000石の減封処分となって入封・入城したが、この処分を受け入れなかったため、正純は久保田藩佐竹氏の預かりとなり、六郷政乗(ろくごうまさのり)が2万石の大名として入城した。以後明治維新まで六郷氏代々が城主となった。本荘藩は戊辰戦争で新政府側に与したことから、本荘城は奥羽越列藩同盟に加盟した鶴岡藩の攻撃を受けた。このとき、城主(藩主)の六郷政鑑(まさかね)は城に火をかけ逃亡している。1869年(明治2)には版籍奉還に伴い廃城となった。城跡は現在、旧本丸を中心に本荘公園となっており、園内には堀の一部(三日月堀)や本丸の枡形などが良好な状態で残っている。また、本丸跡には「本丸の館」という資料館がある。ただし、石垣表門は模擬建造物で、かつての本荘城を復元したものではない。JR羽越本線羽後本荘駅から徒歩約8分。◇鶴舞城、尾崎城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の本荘城の言及

【本荘[市]】より

…また伝統工業に本荘塗(漆器)がある。六郷氏の居城本荘(鶴舞)城跡は公園になっており,桜,ツツジの名所である。六郷氏の菩提寺永泉(ようせん)寺や赤田の大仏として知られる長谷寺がある。…

※「本荘城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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