日本歴史地名大系 「本蓼川村」の解説 本蓼川村ほんたでかわむら 神奈川県:綾瀬市本蓼川村[現在地名]綾瀬市本蓼川(ほんたてかわ)、大和市本蓼川蓼(たで)川(深谷川)が流れ、東は福田(ふくだ)村(現大和市)、南は長後(ちようご)村(現藤沢市)・上土棚(かみつちだな)村、西は深谷(ふかや)村、北は蓼川(たでかわ)村と接する。福田村内に飛地があり、東西に中原(なかはら)道が通る。正保国絵図には「立川村」とあり、元禄国絵図には「本蓼川村」と「蓼川村」とに分れてみえる。「風土記稿」は寛文年間(一六六一―七三)に至って北隣に蓼川村ができたため本の字を冠したという。幕府直轄領(一時旗本田沼領、遠江相良藩領など)。享和三年(一八〇三)暴風雨で倒れた福田村境にある狐塚(きつねづか)上の松を当村が処分したため福田村に訴えられ、評定所の仲裁で両村で伐分けることで和解している(同四年「松並木争論済口証文」大和市史四)。 本蓼川村ほんたでかわむら 神奈川県:大和市本蓼川村[現在地名]大和市本蓼川(ほんたてかわ)、綾瀬(あやせ)市本蓼川⇒本蓼川村(綾瀬市) 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by