旺文社世界史事典 三訂版 「朱 全忠」の解説
朱 全忠
しゅぜんちゅう
五代の後梁 (こうりよう) の太祖(在位907〜12)
名は温 (おん) 。安徽 (あんき) の人。唐末期に黄巣の乱に投じ,のち唐に降って節度使(汴 (べん) 州)に任じられ,唐の僖宗 (きそう) から全忠の名を与えられた。やがて華北で第一の勢力となり,901年梁王に封じられ,昭宗を殺し,907年哀帝に譲位させて帝位につき,国号を大梁と称し,汴 (べん) を東都,洛陽を西都とした。宦官 (かんがん) を一掃し,貴族官僚を黄河の濁流に投じたことは,新しい宋代への道を開くことになったが,国内の平定に失敗して,山西の李克用 (りこくよう) (後唐の太祖)と対立し,後継者争いで子に殺された。
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