西都(読み)せいと

精選版 日本国語大辞典 「西都」の意味・読み・例文・類語

せい‐と【西都】

〘名〙
西方の都。特に、中国で、西周の都鎬京(こうけい)と漢の都長安をいう。
※三体詩素隠抄(1622)三「長安はもとより西都ぢゃほどに」
② 日本で、大宰府(だざいふ)のこと。また、大宰府の置かれた地をいう。
太平記(14C後)一二「昨為北闕蒙悲士今作西都(せいト)恥尸
③ 都の西部
本朝無題詩(1162‐64頃)六・西院亭即事〈藤原敦光〉「西都勝絶一幽庄、地富風流比方

さいと【西都】

宮崎県中部の地名一ツ瀬川中流に沿い、古代には日向国国府国分寺国分尼寺が置かれた。国特別史跡指定の西都原古墳群がある。昭和三三年(一九五八市制

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デジタル大辞泉 「西都」の意味・読み・例文・類語

せい‐と【西都】

西の都。特に中国で、西周の都鎬京こうけい前漢の都長安をいう。
大宰府だざいふのこと。

さいと【西都】

宮崎県中部の市。一ツ瀬川の中流域に位置する。農業が主産業。中心地区のつまは古代文化・行政の中心地であった。西都原さいとばる古墳群がある。人口3.3万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「西都」の意味・わかりやすい解説

西都[市] (さいと)

宮崎県中部,一ッ瀬川中流にある市。1958年西都町,三納(みのう)村,都於郡(とのこおり)村が合体,市制。人口3万2614(2010)。市域の西部は米良(めら)山地(総面積の約77%)が占め,九州の秘境といわれる米良荘(めらのしよう)がある。山地の東側に接して洪積台地が展開し,一ッ瀬川に沿って沖積地が発達する。台地上には大小約330基の古墳が集中する西都原(さいとばる)古墳群をはじめ,茶臼原(ちやうすばる)古墳群,松本塚古墳群,千畑(ちばたけ)古墳群など,合計500基に及ぶ古墳が見られる。大化改新以後は日向国府が市内の三宅に置かれ,近くに国分寺,国分尼寺が建てられた。中世には工藤祐経(すけつね)の子孫の伊東氏が日向地頭として都於郡に城を築いた。江戸時代は妻(現在の中心市街地),上穂北は天領,三納,三財は佐土原藩領,東米良は人吉藩領であった。農耕地が市の面積の約9%,水田がそのうちの65%を占める。施設園芸のピーマン生産は全国の首位にあり,キュウリ,タバコ,肉牛,木材の生産も多く,マンゴーの特産がある。東九州自動車道のインターチェンジがある。
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