宮崎県中部、一ツ瀬(ひとつせ)川の中流域に位置する市。1958年(昭和33)市制施行。1962年三財(さんざい)村、東米良(ひがしめら)村(中之又地区を除く)を編入。1924年(大正13)から1955年までは妻(つま)町と称したが、西部に広がる台地西都原(さいとばる)の地名をとって町、市名とする。西部は九州山地に属して山村地帯だが、東部は洪積台地、沖積平野が発達する。国道219号、東九州自動車道が通る。洪積台地西都原には全国でも有数の規模の西都原古墳群があり、総数は300余基を数える。大規模な古墳としては男狭穂塚(おさほづか)・女狭穂塚(めさほづか)などがあり、貴重な出土品も多い。特別史跡、風土記(ふどき)の丘に指定され、県立西都原考古博物館に出土品が展示されている。そのほか、国指定史跡の茶臼原古墳群(ちゃうすばるこふんぐん)、松本塚古墳、常心塚(じょうしんづか)古墳、千畑(ちばたけ)古墳もある。古代日向(ひゅうが)の中心地でもあり、妻に国府、国分寺、国分尼寺が置かれた。日向の戦国大名伊東(いとう)氏も都於郡(とのこおり)に城を築いた。都於郡城跡は国指定史跡。江戸時代は、穂北(ほきた)、妻が天領、東米良、寒川(さぶかわ)が人吉(ひとよし)藩領、その他は佐土原(さどわら)領であった。中心地の妻は宮崎市に近いため、市街地形成は十分でない。
農業は平野の施設園芸と台地の畑作、畜産が盛んで、とくにピーマン栽培は全国的に有名である。ほかにキュウリ、トウモロコシの作付けが多い。一ツ瀬川には九州電力の一ツ瀬、杉安の2発電所があり、前者は出力18万キロワットで県内有数の規模である。都萬(つま)神社や杉安峡も知られる。また、下水流(しもづる)に伝わる臼太鼓(うすだいこ)踊は国の選択無形民俗文化財、米良神楽(かぐら)は国の重要無形民俗文化財に指定されている。1993年(平成5)歴史民俗資料館が開館、国の重要有形民俗文化財「東米良の狩猟用具」や、国の史跡「日向国府跡」「日向国分寺跡」から出土した土器類などを展示する。面積438.79平方キロメートル、人口2万8610(2020)。
[横山淳一]
宮崎県中部,一ッ瀬川中流にある市。1958年西都町,三納(みのう)村,都於郡(とのこおり)村が合体,市制。人口3万2614(2010)。市域の西部は米良(めら)山地(総面積の約77%)が占め,九州の秘境といわれる米良荘(めらのしよう)がある。山地の東側に接して洪積台地が展開し,一ッ瀬川に沿って沖積地が発達する。台地上には大小約330基の古墳が集中する西都原(さいとばる)古墳群をはじめ,茶臼原(ちやうすばる)古墳群,松本塚古墳群,千畑(ちばたけ)古墳群など,合計500基に及ぶ古墳が見られる。大化改新以後は日向国府が市内の三宅に置かれ,近くに国分寺,国分尼寺が建てられた。中世には工藤祐経(すけつね)の子孫の伊東氏が日向地頭として都於郡に城を築いた。江戸時代は妻(現在の中心市街地),上穂北は天領,三納,三財は佐土原藩領,東米良は人吉藩領であった。農耕地が市の面積の約9%,水田がそのうちの65%を占める。施設園芸のピーマン生産は全国の首位にあり,キュウリ,タバコ,肉牛,木材の生産も多く,マンゴーの特産がある。東九州自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:下村 数馬
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