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朱全忠 しゅぜんちゅう Zhu Quan-zhong; Chu Ch`üan-chung

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朱全忠
しゅぜんちゅう
Zhu Quan-zhong; Chu Ch`üan-chung

[生]大中6(852).10.21. 江蘇,とう山
[没]乾化2(912).6.2. 開封
中国,五代後梁の第1代皇帝 (在位 907~912) 。姓名は朱温。廟号は太祖。黄巣の乱に参加した部将の一人であったが,のち唐朝に寝返り宣武節度使 (開封) に任じられ,乱平定後に梁王に封じられた。

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デジタル大辞泉の解説

しゅ‐ぜんちゅう【朱全忠】

[852~912]中国、五代後梁の初代皇帝。在位907~912。名は温。廟号は太祖。碭山(とうざん)(江蘇省)の人。黄巣の賊徒から身を起こし、の節度使となる。のち、哀帝を擁立、907年、譲位させて梁を建国したが、子の友珪に殺された。

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百科事典マイペディアの解説

朱全忠【しゅぜんちゅう】

中国,五代の後梁の建国者(太祖)。初名は温。唐末の黄巣(こうそう)の乱に加わり,のち唐に降(くだ)って全忠の名を賜る。各地の節度使を兼任,やがて中央の実権を握り,907年哀帝を廃して即位。
→関連項目太祖

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世界大百科事典 第2版の解説

しゅぜんちゅう【朱全忠 Zhū Quán zhōng】

852‐912
中国,五代後第1代の皇帝,太祖。在位907‐912年。宋州碭山県(安徽省)の人。本名は朱温であるが,黄巣の反乱軍(黄巣の乱)に投じ,乱後半に形勢不利とみて唐朝に下り,全忠の名を賜った。さらに恩賞として運河の要衝汴州(べんしゆう)に治所を置く宣武軍節度使に任ぜられ,その豊かな経済的立地により群雄を平定し,唐帝を保護下に置いた。907年(開平1),自らがたてた唐最後の哀帝に迫って譲位させ,帝位についた。

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大辞林 第三版の解説

しゅぜんちゅう【朱全忠】

852~912) 中国、五代後梁の初代皇帝(在位907~912)。名は温。廟号びようごうは太祖。黄巣の乱に参加、のち唐にくだり節度使となる。907年唐を滅ぼし汴京べんけい(開封)に即位したが、次子の友珪ゆうけいに殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朱全忠
しゅぜんちゅう
(852―912)

中国、五代後梁(こうりょう)の初代皇帝(在位907~912)。廟号(びょうごう)は太祖。本名は朱温。宋州(そうしゅう)(とうざん)(安徽(あんき)山県)に生まれる。郷里で儒学を教える父を幼くして失ったため、他家に養われて成長したが、877年、黄巣(こうそう)の民衆反乱軍に参加し、部将にのし上がった。しかし、形勢が不利になると、882年、唐朝に帰順して全忠の名を賜り、(べんしゅう)(河南省開封(かいほう)市)を治所とする宣武軍節度使を授けられ、黄巣軍の鎮圧に功をたて、しだいに華北随一の勢力を獲得し、901年、梁王に封ぜられた。ついで、いまや地方政権化した唐朝の昭宗を監視下に収め、904年には昭宗を殺し、その子の哀帝を傀儡(かいらい)として即位させる一方、禁軍を掌握していた宦官(かんがん)勢力を一掃し、清流を誇る主要な官僚貴族を殺して黄河の濁流に投げ込むなど、唐朝の権威を否定して禅譲(ぜんじょう)革命への準備を進めた。907年、ついに哀帝を退位させて自ら帝位につき、名を晃(こう)と改め、国を大梁(だいりょう)と号し開平と改元し、州を開封府東都、洛陽(らくよう)を西都とした。ここに唐朝は滅び、五代最初の王朝が成立したのであるが、河東の李克用(りこくよう)ら有力藩鎮(はんちん)は梁朝を認めず、江南地方も名目的に服従するだけであったから、その支配領域は黄河中・下流域の70余州にすぎなかった。こののち、宿敵李克用の後を継いだその子李存勗(りそんきょく)(後唐(こうとう)の荘宗(そうそう))と戦って敗れるなど、軍事的に劣勢となるなかで、後継者争いから、実子朱友珪(しゅゆうけい)に殺された。[高橋継男]

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世界大百科事典内の朱全忠の言及

【五代十国】より

…この時期の〈武人支配〉は,直接的には唐末の黄巣の乱に起因する。唐を滅ぼし五代最初の後梁朝をたてた朱全忠は,黄巣軍の中心的部将であり,唐側に投降してその恩賞として節度使に任ぜられた。五代第2の後唐の事実上の建国者李克用も,異民族部隊の長として黄巣の乱平定に活躍し,その功で節度使に任ぜられたものである。…

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