杉木茂左衛門(読み)すぎき・もざえもん

朝日日本歴史人物事典 「杉木茂左衛門」の解説

杉木茂左衛門

没年天和2?(1682)
生年:生年不詳
江戸時代初期の義民。上野国沼田藩領である利根郡月夜野村(群馬県月夜野町)出身。天和1(1681)年,沼田藩領主真田信利苛政を,沼田領3万石願人総代として将軍徳川綱吉に直訴した。その結果真田氏は改易になったが,茂左衛門も磔刑に処せられたという。しかし茂左衛門に関しては,寛文2(1662)年の検地帳に名前があるのと,天和1年の訴状の写しが残るだけで,その実像は不明。真田信利の藩政改革によって疲弊した農民を救済するために,真田氏改易後,多くの訴状が提出されているので,茂左衛門もそのひとりであり,明治以後佐倉宗吾伝承の影響のもとにその義民伝承が成立したものと思われる。<参考文献>後閑祐次『磔茂左衛門―沼田藩騒動』,丑木幸男『磔茂左衛門一揆の研究

(丑木幸男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉木茂左衛門」の解説

杉木茂左衛門 すぎき-もざえもん

?-1681/86 江戸時代前期の農民。
上野(こうずけ)(群馬県)沼田藩領月夜野(つきよの)の人。藩主真田(さなだ)信利の圧政を将軍に直訴。天和(てんな)元年(1681)真田家は改易(かいえき),茂左衛門は磔(はりつけ)になったという。直接裏づける史料はないが,磔(はりつけ)茂左衛門の名で伝説化された。天和元/貞享(じょうきょう)3年死去。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉木茂左衛門」の意味・わかりやすい解説

杉木茂左衛門
すぎきもざえもん

磔茂左衛門

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の杉木茂左衛門の言及

【磔茂左衛門】より

…上野国沼田藩の真田伊賀守信利(信直)治政下において,藩主の苛政を直訴した義民。本名は杉木茂左衛門で,磔刑(たつけい)になったのでこの名がある。沼田藩領月夜野に生まれた中流の百姓であった。…

※「杉木茂左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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