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磔茂左衛門 はりつけもざえもん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

磔茂左衛門
はりつけもざえもん

[生]? 上野
[没]貞享3(1686).上野
江戸時代の義民の一人。上野国利根郡月夜野村の百姓。沼田藩主真田信利の領民に対する過酷な年貢徴収や労役に抗して単身江戸に出,輪王寺宮を通して幕府に訴えた。その結果,信利は悪政をとがめられ,天和1 (1681) 年所領没収のうえ山形に配流となった。

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磔茂左衛門
はりつけもざえもん

戯曲。5幕6場。藤森成吉作。 1926年5月『新潮』に発表。同年6月井上正夫一座が検閲制度のため改稿を加えて浅草松竹座で初演。上州沼田城主真田伊賀守の暴政に抗して農民たちが一揆を起そうとするのを,茂左衛門がとどめて江戸へ直訴におもむく。

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デジタル大辞泉の解説

はりつけ‐もざえもん〔‐モザヱモン〕【磔茂左衛門】

[?~1686?]江戸前期の義民。上野(こうずけ)の人。本姓は杉木。沼田城主真田(さなだ)氏の悪政を幕府に直訴。真田氏は所領を没収され、茂左衛門は帰郷後、になったという。

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百科事典マイペディアの解説

磔茂左衛門【はりつけもざえもん】

江戸前期の上野(こうずけ)国沼田藩領下の農民。領主真田信利の重課悪政に反対する農民の先頭に立ち,江戸で将軍に直訴したとされる。彼の事績を裏づける史料は現存しないが,1681年真田氏は江戸両国橋修理遅滞や領内政治の不始末を問われて改易された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

磔茂左衛門 はりつけ-もざえもん

杉木茂左衛門(すぎき-もざえもん)

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世界大百科事典 第2版の解説

はりつけもざえもん【磔茂左衛門】

1634‐86?(寛永11‐貞享3?)
上野国沼田藩の真田伊賀守信利(信直)治政下において,藩主の苛政を直訴した義民。本名は杉木茂左衛門で,磔刑(たつけい)になったのでこの名がある。沼田藩領月夜野に生まれた中流の百姓であった。時の領主信利は,分家筋の信州松代10万石の真田家に張り合って,3万石の自領を厳しい検地によって14万石余に打ち出し,伊賀枡と呼ばれた枡で増量して年貢を取り立てた。諸種の課役も多くしたうえに,江戸両国橋の架替えを幕府から命ぜられ,用材調達の強制労役を領民に課するに及んで不満はさらに高まった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

磔茂左衛門
はりつけもざえもん
(?―1682/86?)

近世前期の伝説的義民。本姓は杉木。上野(こうずけ)国(群馬県)利根(とね)郡月夜野(つきよの)村(みなかみ町)で、1662、72年(寛文2、12)の検地帳で1町8反余所持。沼田藩主真田伊賀守信澄(さなだいがのかみのぶずみ)(信利(のぶとし)ともいう)は、寛文(かんぶん)・延宝(えんぽう)年間(1661~81)の検地で、従来の3万石を4倍以上に打ち出したうえ、80年(延宝8)には江戸両国橋架替(かけか)え用の材木を請け負い、その伐出(きりだ)しと輸送の負担をも領民に課した。この請負に失敗した81年(天和1)11月22日に改易されて沼田は幕領となり、84~86年(貞享1~3)の再検地で6万5000石に減ぜられた。
 伝承によると、茂左衛門が江戸に出て、前記の苛政(かせい)を老中に駕籠訴(かごそ)したが取り上げられないので、輪王寺宮(りんのうじのみや)の文箱(ふばこ)を偽造し、これに願書を収め、侍姿で板橋の茶屋に泊まり、文箱を残して失踪(しっそう)した。箱は東叡山(とうえいざん)に届けられ、願書は寺から将軍徳川綱吉(つなよし)の手に渡って、真田家改易のもとになったが、茂左衛門はやがて捕らえられ、磔刑(たっけい)に処せられたといい、月夜野の千日堂には茂左衛門地蔵が祀(まつ)られている。[林 基]
『駒形荘吉「義民磔茂左衛門伝」(1895/『日本産業資料大系 第3巻』所収・1926・中外商業新報社) ▽後閑祐次著『磔茂左衛門――沼田藩騒動』(1966・人物往来社)』

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世界大百科事典内の磔茂左衛門の言及

【直訴】より

…これが一揆で,指導者は厳刑に処せられたが,訴願の趣旨は受け入れられる場合が少なくなく大きな成果をあげた。【深谷 克己】 江戸時代では,下総国印旛郡公津台方村の名主惣五郎が佐倉藩主堀田氏による収奪の実態を将軍に直訴し,妻子とともに処刑された事例や,上野国利根郡月夜野村の農民茂左衛門が沼田藩主真田氏の暴政を老中ならびに将軍に訴え出て,真田氏は改易となり,茂左衛門は捕らえられて死刑に処せられた磔茂左衛門の例などが有名である。明治時代には,1890年代から議会で足尾鉱毒問題を追及してきた田中正造が,政府の無責任な態度に絶望し,代議士を辞任して1901年12月天皇に直訴した事件がとくに注目される。…

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