上野国沼田藩の真田伊賀守信利(信直)治政下において,藩主の苛政を直訴した義民。本名は杉木茂左衛門で,磔刑(たつけい)になったのでこの名がある。沼田藩領月夜野に生まれた中流の百姓であった。時の領主信利は,分家筋の信州松代10万石の真田家に張り合って,3万石の自領を厳しい検地によって14万石余に打ち出し,伊賀枡と呼ばれた枡で増量して年貢を取り立てた。諸種の課役も多くしたうえに,江戸両国橋の架替えを幕府から命ぜられ,用材調達の強制労役を領民に課するに及んで不満はさらに高まった。そうした情勢の中で茂左衛門の訴願が行われたが,その事績を裏づける史料は現存しない。伝承によると彼は,上野寛永寺御用の偽文箱に将軍あて直訴状を入れ,板橋宿の茶屋に置いた。これが首尾よく将軍家に渡り,やがて藩主真田信利はとがめられて領地召上げとなり,領民は救われたが,茂左衛門は掟法によって磔刑になった,という。真田信利が,両国橋修理の遅滞と家中取締り並びに領内政治よろしからずとの理由で,81年(天和1)11月に改易になったことは事実であり,その後の幕府の検地で沼田藩は6万石とされた。茂左衛門の処刑地のそばに,彼の霊をまつる壮大な地蔵堂が造られている。
執筆者:横山 十四男
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近世前期の伝説的義民。本姓は杉木。上野(こうずけ)国(群馬県)利根(とね)郡月夜野(つきよの)村(みなかみ町)で、1662、72年(寛文2、12)の検地帳で1町8反余所持。沼田藩主真田伊賀守信澄(さなだいがのかみのぶずみ)(信利(のぶとし)ともいう)は、寛文(かんぶん)・延宝(えんぽう)年間(1661~81)の検地で、従来の3万石を4倍以上に打ち出したうえ、80年(延宝8)には江戸両国橋架替(かけか)え用の材木を請け負い、その伐出(きりだ)しと輸送の負担をも領民に課した。この請負に失敗した81年(天和1)11月22日に改易されて沼田は幕領となり、84~86年(貞享1~3)の再検地で6万5000石に減ぜられた。
伝承によると、茂左衛門が江戸に出て、前記の苛政(かせい)を老中に駕籠訴(かごそ)したが取り上げられないので、輪王寺宮(りんのうじのみや)の文箱(ふばこ)を偽造し、これに願書を収め、侍姿で板橋の茶屋に泊まり、文箱を残して失踪(しっそう)した。箱は東叡山(とうえいざん)に届けられ、願書は寺から将軍徳川綱吉(つなよし)の手に渡って、真田家改易のもとになったが、茂左衛門はやがて捕らえられ、磔刑(たっけい)に処せられたといい、月夜野の千日堂には茂左衛門地蔵が祀(まつ)られている。
[林 基]
『駒形荘吉「義民磔茂左衛門伝」(1895/『日本産業資料大系 第3巻』所収・1926・中外商業新報社)』▽『後閑祐次著『磔茂左衛門――沼田藩騒動』(1966・人物往来社)』
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?~1682?
江戸前期の義民。杉木氏。上野国月夜野村の百姓。両国橋普請の材木山出し人足徴発,諸運上,伊賀枡という不正枡による収奪などの沼田藩主真田伊賀守信利の苛政を,1681年(天和元)幕府に越訴し磔に処されたというが,事実は確認できない。直訴状の写は沼田領内各地に存在し,直訴者については異なる伝承がある。茂左衛門地蔵尊が現存し,明治期以降物語が作成され,代表越訴型一揆の典型とされるにいたった。
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…私的に所持する財産を官没するもので,公的な支配権の召上げは改易(かいえき)と呼び区別した。《公事方御定書》によれば,鋸挽(のこぎりびき),磔(はりつけ),獄門,火罪,斬罪,死罪,遠島および重追放の諸刑には田畑,家屋敷,家財の取上げが,中追放には田畑,家屋敷の取り上げが,軽追放には田畑の取上げがそれぞれ付加される。これを欠所と称し,武士,庶民を通じて適用したが,扶持人の軽追放においてはとくに家屋敷のみの欠所とする。…
…キリスト教を初めて公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世(大帝)は,337年これを禁止した。 イエスの磔刑は新約聖書によれば,エルサレム郊外ゴルゴタの丘で行われた。ピラトに死刑を宣告されたあと,イエスは紫の衣を着せられ,茨の冠をかぶせられ,〈ユダヤ人の王,ばんざい〉と嘲笑された。…
… 中世(おそらく室町時代)に入ると,引廻し(〈大路を渡す〉)はいっそう盛んに行われるようになり,死罪犯も引き廻したのちに刑を執行する方式が主流となったほか,死一等を減ぜられた者を車や刑架に縛して引き廻す〈はりつけ〉の刑も行われた。【佐藤 進一】 江戸幕府では死罪,獄門,火罪(火焙(ひあぶり)),磔(はりつけ)にこれが付加されることがあった。江戸では町中引廻しと5ヵ所引廻しの2種があり,前者は牢屋裏門から出て大伝馬町,室町,日本橋,元四日市町,荒和布(あらめ)橋,堀江町,堀留を経て牢屋に戻り,後者は牢屋裏門から大伝馬町,日本橋,京橋,新橋,久保町,溜池端,赤坂御門外,四谷御門外,市ヶ谷御門外,小石川御門外,壱岐坂,本郷弓町,湯島切通町,上野山下から浅草を経て牢に帰るか,あるいは御仕置場に直行する。…
※「磔茂左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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