ボシュエ(読み)ぼしゅえ(英語表記)Jacques Bénigne Bossuet

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボシュエ」の意味・わかりやすい解説

ボシュエ
ぼしゅえ
Jacques Bénigne Bossuet
(1627―1704)

フランスの神学者、歴史家。神権王制の理論を大成した聖職者。弔辞文学の独創者でもある。ディジョンで誕生。パリに出て神学を修める。32歳で司教となり、以後説教家として声望を博した。アンリエット・ダングルテールHenriette d'Angleterre(1609―1669)、ル・テリエLe Tellier(1603―1685)、コンデ公(ルイ2世LouisⅡ de Bourbon。1621―1686)らへの弔辞で知られる。1670年ルイ14世の王太子の師傅(しふ)となる。『世界史論』Discours sur l'histoire universelle(1681)により、普遍的な摂理の軌道に明滅する神と人間の交流を描き、創造者から祝福された王権の正統性を立証し、王を神の地上の代行とみる、いわゆる「王権神授説」を補強。ブルボン王朝の公的な政治理論を確立した。さらに1688年『プロテスタント教会変遷史』を著し、カトリック教会擁護のための論陣を張る一方、フェヌロン静寂主義(キエティスム)の神秘論をも厳しく批評した。晩年モーの司教として、健筆を振るい、神学の著述に従った。文体は荘重で、格調に富み、古典主義を代表する文人の評が高い。

[金澤 誠 2017年12月12日]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボシュエ」の意味・わかりやすい解説

ボシュエ
Bossuet, Jacques Bénigne

[生]1627.9.27. ディジョン
[没]1704.4.12. パリ
フランスの聖職者,説教家,神学者。 1642~52年パリのナバル学院で学び,バンサンの影響下に司祭となった。 52~59年メッツで対プロテスタント論争を展開。パリに戻って特に追悼説教で文学的盛名を高め,69年コンドン司教,71年皇太子傅育官となり,アカデミー・フランセーズに入った。 81年から死ぬまでモー司教をつとめた。ライプニッツ親交があった。 81年聖職者総会でルイ 14世のローマとの離教的対立を回避しようとしたが,82年4ヵ条を起草し,王への服従を貫いた。反プロテスタント運動は 85年ナント勅令破棄をもたらしたが,それに続く迫害に反対し,王の政策を支持。 94年頃より静寂主義の代表者フェヌロンと対立し,ガリア主義の自由を守った。神学者としての彼は,教父に関する有数の学者であり,カトリック教理の擁護に努めた。主著は皇太子のために書いた『世界史叙説』 Discours sur l'histoire universelle (1681) ,『聖書の言葉より導出せる政治論』 Politique tirée de l'écriture sainte (6巻,1709) 。さらに『プロテスタンティズム変遷史』L'histoire des variations des églises protestantesは当時評判の書であった (1688) 。

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