杉江村(読み)すぎえむら

日本歴史地名大系 「杉江村」の解説

杉江村
すぎえむら

[現在地名]守山市杉江町

十二里じゆうにり村の北西赤野井あかのい村の南に位置し、西は琵琶湖に面する。「すげ」ともいう。建武四年(一三三七)二月晦日当地を含む延暦寺僧猷覚跡の山賀やまが庄が足利尊氏により園城おんじよう寺に寄進されたが(「足利尊氏寄進状」園城寺文書)、その後、「椙江村」を相伝の所領と称する米積法橋定教が現れ、園城寺との間で相論となった。定教は建武元年に当知行安堵の綸旨を受けたことなどを証拠に領有を主張したが、吟味の結果、貞和二年(一三四六)一〇月二七日寄進状どおり園城寺領とする判決が出され、定教所帯の文書類が没収された(「足利直義下知状」密井文書)。明応六年(一四九七)には本願寺実如が「野洲郡山賀郷杉江村西道場」の了善に絵像(正光寺蔵)を下付している。大永七年(一五二七)冬、矢島少林やじましようりん寺に滞在していた連歌師宗長を訪ねた杉江の兵庫は、当地名を名乗る武士(宗長日記)


杉江村
すぎえむら

[現在地名]長島町杉江

長島輪中にあり、北は松之木まつのき村、南は上坂手かみさかて村に接し、伊尾いび(現揖斐川)東岸堤防沿いにある。「長島古今図考」に載せる江戸時代初期の長島古絵図によれば、上坂手村・下坂手村・松之木村西川にしがわ村・高座こうざ村・平方ひらかた村・新所しんしよ村とともに一曲輪の島であった。近世は長島藩領。慶安郷帳(明大刑博蔵)に記載された村で、文政七年(一八二四)家数三五、人数一五〇。明治一六年(一八八三)家数二七、人数一一八(桑名郡志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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