朝日日本歴史人物事典 「杉浦嘉七」の解説
杉浦嘉七(2代)
生年:生年不詳
幕末の箱館の豪商,蝦夷地場所請負人。もと松前藩士で,中沢忠三郎と称した。初代嘉七の子与七の妻の後夫となり,杉浦家(福島屋)を相続。嘉永5(1852)年に幌泉場所,翌年十勝場所の請負人となる。両場所とも東蝦夷地有数の昆布の産地で,昆布その他の海産物を本州方面に移出して莫大な収益を得た。箱館の町年寄を務め,松前藩の御用達にもなった。安政4(1857)年,箱館奉行所が箱館をはじめ本州各地に産物会所を開設し,蝦夷地産物の移出や蝦夷地への漁業資金の貸し付けを開始,嘉七は同会所用達元締に任命された。なお,函館区会議長となった杉浦嘉七(允)は3代目である。<参考文献>白山友正『松前蝦夷地場所請負制度の研究』改訂版,『函館市史』通説編1,2巻
(長谷川伸三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報