李徳生(読み)りとくせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「李徳生」の意味・わかりやすい解説

李徳生
りとくせい / リートーション
(1916―2011)

中国の政治家。湖北(こほく)省生まれ。紅軍に入り、1932年に中国共産党入党。1937年には八路軍129師(劉伯承(りゅうはくしょう)師長)の一連隊長となる。1951年朝鮮戦争に義勇軍副軍長として参加、1955年少将。文化大革命中、頭角を現し、1968年安徽(あんき)省に進駐して同省革命委員会主任、1969年党中央政治局候補委員、1970年には解放軍総政治部主任の要職につく。1973年党中央政治局常務委員に選出されるが、翌1974年以後批判を受け、1977年党中央政治局委員(1985年辞任)、1985年党中央顧問委員会常務委員(1992年の顧問委廃止まで)。中国人民解放軍国防大学政治委員。

[加藤祐三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李徳生」の意味・わかりやすい解説

李徳生
りとくせい
Li De-sheng

[生]1916. 湖北,黄安
中国の政治家,軍人。紅軍に入り長征に参加。文化大革命中は安徽省左派を支援し,軍区司令に就任。 1968年安徽省革命委員会成立とともに主任となり,69年の中国共産党九全大会で党中央委員,中央政治局委員候補に選出され,同年中央軍事委員会委員となり,70~73年解放軍総政治部主任に就任。 73年8月党十全大会で中央委員,中央政治局常務委員会委員,党副主席に選ばれたが,75年常務委員会委員と党副主席から中央政治局委員へ降格。また 73年 12月解放軍総政治部主任から瀋陽部隊司令に転任した。 77年中央委員,政治局委員,東北電力網指導小組長。

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