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長征 ちょうせい Chang-zheng

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長征
ちょうせい
Chang-zheng

1934年 10月~36年 10月中国工農紅軍が華中,華南の革命根拠地から陝西省北部へ約2万 5000華里 (約1万 2500km) の大移動を行なったことをいう。大西遷とも呼ばれる。 33年 10月から蒋介石が江西省の瑞金を中心とする中央ソビエト区に対して 50万の兵力を動員して第5次包囲攻撃を開始した結果,紅軍は 34年 10月これを放棄することを余儀なくされ,毛沢東朱徳周恩来らの率いる第1方面軍約 10万は瑞金を出て長征を開始した。

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デジタル大辞泉の解説

ちょう‐せい〔チヤウ‐〕【長征】

[名](スル)
長期間・長距離にわたり遠征すること。遠くまで征伐に行くこと。
1934年から1936年にかけて行われた紅軍中国共産党軍)の大移動。国民党軍に包囲された紅軍が江西省瑞金根拠地を放棄、陝西(せんせい)省延安まで1万2500キロを行軍したこと。西遷。大西遷。

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百科事典マイペディアの解説

長征【ちょうせい】

中国で1934年―1936年,中国労農紅軍30万人が行った華中・華南から陝西省北部まで,約1万2500kmの大移動。大西遷とも。瑞金を中心とする中共根拠地は,1933年以来の中共指導部の方針の誤りによって放棄せざるを得なくなった。
→関連項目高崗抗日戦争胡耀邦朱徳瑞金中国共産党陳毅【とう】穎超彭徳懐葉剣英楊尚昆劉少奇林伯渠林彪六盤山脈

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうせい【長征 Cháng zhēng】

1934年8月から36年10月にかけて行われた中国労農紅軍主力の戦略的大移動をいう。もっとも遠距離を行軍した部隊は2万5000華里(1万2500km)を踏破したことから〈万里長征〉とも呼ばれる(図)。 中国共産党は〈王明(陳紹禹)路線〉の政治的・軍事的誤りのために,国民政府軍の第5次包囲討伐を撃退できず,陝西北部を除く各革命根拠地(ソビエト区)の放棄をよぎなくされた。34年8月,まず紅軍第6軍団が湘贛(しようかん)根拠地から包囲を突破して西進,貴州省東部で第2軍団と合流(紅軍第2方面軍)して湖南西部に進出した。

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大辞林 第三版の解説

ちょうせい【長征】

( 名 ) スル
長い道のりにわたって征伐すること。
1934年から36年にかけて、国民党の包囲攻撃をのがれ北上抗日を行うため、中国紅軍が行なった華中・華南の革命根拠地(瑞金)から陝西・甘粛一帯(延安)への大規模な戦略的移動。国民党軍と戦いながら、およそ1万2千5百キロメートルを歩いて移動した。当初三〇万の勢力が三万に減少したといわれる。西遷。大西遷。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長征
ちょうせい

1934年から36年にかけて、中華ソビエト共和国の「首都」江西(こうせい/チヤンシー)省瑞金(ずいきん/ロイチン)から陝西(せんせい/シャンシー)省北部まで、紅軍が国民党軍と戦闘を交えながら1万2500キロメートルを歩いて移動した行動。大西遷(だいせいせん)ともいう。
 長征は11省と2億の人民に紅軍の指し示す道を明らかにしただけでなく、中国共産党を不抜のものに鍛え上げる役割を果たした。5回にわたる国民党軍の包囲討伐を受けた瑞金の中央根拠地を放棄して長征に出たのは、第一に、毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)に反対する極左路線によって正規戦が行われ、軍事的に困難な状況に陥っていたこと、第二に、満州事変に直面して北上抗日を目ざしていたことがあげられる。朱徳(しゅとく/チュートー)、毛沢東など党中央の直接指導する第一方面軍は、8万余の兵力をもって、1934年10月根拠地を撤退した。これより先、賀竜(がりゅう/ホーロン)を指揮者とする第二方面軍が、湖南(こなん/フーナン)、湖北(こほく/フーペイ)、四川(しせん/スーチョワン)、貴州(きしゅう/コイチョウ)の省境地区に出ており、第一方面軍はこれと合流する予定であったが、国民党軍の激しい攻撃にあい、第一方面軍は貴州に転進、貴州省の遵義(じゅんぎ/ツンイー)を占領した。35年1月、ここで開いた中央政治局拡大会議(遵義会議)で、極左路線が否定され、党内における毛沢東の指導権が確立した。
 このあと紅軍の行動は一段と機動性を帯び、湖北、河南(かなん/ホーナン)、安徽(あんき/アンホイ)省境の根拠地を撤退して、四川省北部に出ていた第四方面軍との合流を策した。そして大渡河(だいとが)を強行渡河し、5000メートルもの大雪山を越え、苦難の行軍ののち四川の懋功(マオコン)(現在の小金)で両軍は合流に成功した。ところが第四方面軍の指揮者張国(ちょうこくとう/チャンクオタオ)は、党中央の方針に反対し、北上抗日せずに、西康(南西部の旧省名)と四川の辺境に居座ってしまった。毛沢東の率いる第一方面軍は北上を継続し、368日間の行軍ののちに、主力は陝西省北部に到着して新たな根拠地を開いた。一方、第一方面軍の援護作戦にあたっていた第二方面軍は、約2万の兵力で長征を行って、西康省で第四方面軍と合流した。張国と政治闘争の結果、両軍相携えて1936年10月、甘粛(かんしゅく/カンスー)で第一方面軍と合流、11省を通過し、18の山脈を越えて長征が終了した。全軍30万の兵力が、途中補充しながら、長征を終えて新根拠地に到着したときは約3万といわれ、その犠牲の大きさを物語っている。しかし、まもなく陝西省北部に強大な根拠地を建設し、抗日戦争を戦うに至った。他方、江西に残留した陳毅(ちんき/チェンイー)らの小部隊は、驚くべき忍耐によって戦力を保持し、のちに新四軍に発展した。
 長征は、かつてエドガー・スノーが語ったように、「ハンニバルのアルプス越えも、これに比べれば休日の遠足にすぎない」(『中国の赤い星』)大事業であり、中国革命史を彩る一大叙事詩といってよいだろう。[安藤彦太郎]
『スメドレー著、阿部知二訳『偉大なる道』(岩波文庫) ▽岡本隆三著『中国革命長征史』(1981・サイマル出版会)』

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