20世紀日本人名事典 「村上庸吉」の解説 村上 庸吉ムラカミ ヨウキチ 明治・大正期の実業家 生年慶応4年4月(1868年) 没年昭和3(1928)年2月23日 出生地豊後国(大分県) 旧姓(旧名)石川 学歴〔年〕東京法学院(現・中央大学)〔明治25年〕卒 経歴日出藩士・石川栗庵の二男に生まれ、のち村上家を継ぐ。台湾総督府、関東都督府に務め行政事務に携わり、ついで金州民政支署長となり民間警察を創設、また満鉄沿線付属地に民会を設置した。明治43年退官して大阪市助役となり市政を調整、財団法人弘済会の創立に尽力する。大正2年退職して住友家に入り住友総本店の営繕課長を務め、同家経営にも参加した。晩年は北港住宅取締役を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上庸吉」の解説 村上庸吉 むらかみ-ようきち 1868-1928 明治-大正時代の官吏,経営者。慶応4年4月生まれ。台湾総督府,関東都督府につとめ,金州民政支署長をへて明治43年大阪市助役となる。財団法人弘済会の創設に尽力。のち住友総本店の営繕課長,北港住宅取締役。昭和3年2月23日死去。61歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。東京法学院(現中央大)卒。旧姓は石川。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by